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「スティーヴィン・マディガン」のセッションに参加して

NPACC主催の「外出自粛時期特別ワークショップ(その6)『スティーヴン・マディガンのセッション』のセッション」に参加した。

ナラティヴ・セラピストであり、「ナラティヴ・セラピストになる」(北大路書房)の著者であるスティーヴン・マディガンのセッションビデオを見ながら、ナラティヴ・セラピーについての理解を深めるというものであった。6時間のセッションを1時間のビデオにまとめられ、字幕付きのビデオを見て、グループでディスカッションをして理解を深めるというものであった。講師の国重さんからは、参加者の質問に答えるという形で、参加者の理解が深まるような説明があるのみであった。

質問1「マディガンのセッションのスピードが早いのではないか」

・ナラティブ・セラピーの形は一つではない。
・マディガンのセッションが早いというのは、彼が至ったスタイルである。
・一つ一つゆっくりと聞くというような指導もあった。

質問2「ナラティブ・セラピーは、ブリーフセラピーやソリューション・フォーカスに似ている感じがする」

・近いところもあるが、どこが違うかを大事にする。

質問3「あなたが人としての人権を持てて当然だと主張しているように、私は聞こえます」(マディガンの言葉)

どのような質問があり、どのようなプロセスから、ここについて、国重さんから説明があったのかは忘れたが、

・西洋文化では、ナラティブでは、「人権」を扱おうとする。
 ここは、この「人権」をどうやってやろうとしているかというところである。

グループセッションで残っているメモ

参加者は、すでに長い期間ナラティブ・セラピーを勉強されている方やさまざまであったが、グループセッションの中で残ったことをメモにしておく。

・「『この時期に会いに来たというのは・・・・・』というマディガンの質問がどのような意図だろうか」と、私の問いかけについて、「ナラティブでは、ここに来るまでの歴史を聞くというのが前提でこのような質問がある」

・人はダメなときは、ダメな理由を作る(確かに)。
 人でも組織でも、その存在の全体性を見ないで、ある特定の側面だけを見て、ダメとみなす。別の見方をすれば、良い面もあるのにである。

・オープンなようで、オープンとは言えないような意図を持った質問がされていたように思う。

・ダン(クライアント)の中にある力を引き出す。
 「希望(光)」を引き出す。

・セラピスト側の言葉の使い方がクライアントの言葉の使い方に変化をもたらし、物事の見方に変化をもたらす。

・言葉が変わっていくことで、その人の物の見方が変わっていく。

・他者に、クライアントを評価(認める)させる手法
 「彼女は、あなたが震えながらでも、演奏ができたことについてどう思いましたか?」

どの程度、理解が深まったといえるのかは?だが、
「希望を掘り当てる」プロセスは理解できたが、このような問いかけができるために、ナラティヴ・セラピストになるために、私は何を求められているのか?
「クライアントに希望があるということを信じること」「しつこさ」。
今その学びは始まっている。

相談に来る人(クライアント)は、「困っている人」ではなく「困っていることを何とかしたいと思っている人」という言葉を思い出した。
その意味において、クライアントに対して「この時期に会いに来たというのは、どういうことなのでしょうか?」という問いかけが、再びよみがえってきた。そした、マディガンは「私のような者に今」という言葉もその前に言っている。それは、ダン(クライアント)がすでに自分自身の問題について、「何とかしたい」という気持ちがそこにあるということを物語っているように感じた。

#ナラティヴ・アプローチ #希望を掘り当てる  

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