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「哀れなるものたち」を見ました

先日、二子玉川の映画館で「哀れなるものたち」を見てきました。仕事が一区切りついたので、さて映画にでも出かけようということでこの作品へ。

私はまったくの事前情報なしで映画を見に行くことはありません。お金を払って、しかも一定時間を費やすわけですから、それほど冒険はしたくない派です。もっとも私自身の体調とかその時のモードによって、かなり好みは揺れるのですが。今回、事前情報としては、エマ・ストーンが出ている。画が美しそう。性表現が多いらしい。フェミニズム的な前向きの評価がなされている。といった程度でした。

仕事を終えて、軽めの夕食をとって映画館へと向かい、コーラ・ゼロとポプコーンを買って、さて目的のシアターへ。入り口にあるポスターの写真を撮ろうとすると、あれ、するりと3人ほどの女性がカメラのフレームに。頭にはヒジャブが。イスラム教の若い女性たち。席に向かうとほぼ満席。左側の席には私と同年代の男性が座り、右側の席には開演ギリギリにやってきた女性が着席し、前の列には先ほどのイスラム教徒とおぼしき若い女性グループが。

はじまってしばらくすると、左側に座っている男性が、ため息をつき始めます。さらに「チッ」というような音も聞こえはじめ、最後はあくびをするように。開始1時間ほどで出て行きました。気に入らない人がいるのもわかるけれど、周りにそれとわかるような態度もどうなんと思いながら左側に気を取られたのでした。エマ・ストーンとエロという情報だけ頭に入れてきたのかお気の毒にとか、いろいろ考えてあげたりもするのでした。

客席の描写が長くなりますが、もう一つ。僕の前の席に座っていた頭に被り物をしたイスラム教徒の若い女性たちが、性描写のたびにクスリ、クスリと笑いはじめます。これがいい感じのタイミングで発しられ続け、まわりの客席にもいい影響を。気がついたら途中から私も私の横に座っているご婦人も声を出して笑っていたのでした。見るものを選ぶ映画であることは確かです。エマ・ストーンのエロ映画だという誤った情報で行くと、1時間で帰ることになりそうです。

女性の成長記録を短時間で見せてくれるそんな映画です。訳あって、大人の体に赤ちゃんの脳が移植されている。食べて、排泄して、初歩的な言語を発し、オナニーを覚えてといった初期の段階から、自分以外の人や外の世界に関心を示すようになる。やがてエマ・ストーン演じる人造人間は、外の世界に触れるための旅に出かけることになります。マズローの欲求5段階説を想起させるところです。セックスのあり方も、次第に変化していきます。自然に覚えたオナニーから、激しい性交渉(熱烈ジャンプ)へ、さらに娼館で繰り広げられるビジネスのセックスへ、そして・・・という具合です。書物や哲学といった思想的な世界と絶望的な現実の貧困との狭間で主人公が大きく揺さぶられるシーンも出てきます。

もっとも、この作品の奇妙さと魅力は、このような説明可能な理路整然とした枠組みの中で物語が進行しているように見えて、実のところその線で説明するだけでは作品の良さの半分も伝わらなさそうだということです。エマ・ストーンの肌の質感、映像の美しさと醜悪さ、シンプルに抑制された音楽、歴史観が拭いされたような時代設定、無根拠な快楽と自由の追求などが全体として魅力を構築しているように思えました。むしろ理路整然とした部分は付け足しにしかすぎず、寺山修司ばりの荒唐無稽な美しさの方がもしかすると作品の本質かもしれないなどと思ったりしたのでした。

フェミニズムについても、理路整然としたフェミニズム論で説明できるような作品ではないように思います。論理よりも快楽、規律よりも自由をといった快楽主義を入れないと語れない作品だと思いました。私はその方がリアルだし、何よりイスラムの若い女性たちに大いに受けていたのはこの線だったであろうと考えると尚更愉快です。

映画を見て即物的な癒しを得ようとする人には向かない作品ではないかと思います。鑑賞後に来る思考やアートの残像に価値を見出せる人におすすめの作品です。

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