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僕のafter.311  《20》子どもたちの人権を守れ

『復興支援』と一言に言っても実に様々な活動がある。その中で僕らのNPOが緑のカーテンの次に手をつけたのが『保養』事業だった。原発の影響で一時は多くの人が避難を余儀なくされていた南相馬も、311から半年も過ぎれば帰ってくる人も増えてきた。
避難生活も正直楽ではない。避難所や避難施設は当然不便極まりないし、生活するには不自由。故郷を遠く離れての避難生活は慣れない土地環境でストレスも溜まる。さらに、被災者とて働かなくては食ってはいけない。旦那は仕事があるから福島で、奥さんと子どもは避難という二重生活を送っている人も大勢いる。二重生活は当然お金が嵩む
仕事のため、家族のため、生活のため、理由はそれぞれだけれど戻ってくる人はいる。人が増えて南相馬が活気付くことは嬉しい反面、一緒に連れられてくる子どもたちを見かけると複雑な心持ちがする。子どもたちは自分で決められない。中学生高校生くらいになれば違うだろうか、幼ければ幼いほど親の決断に従うしかない。しかも、放射性物質がどのように人体に影響するのか、自分たちの将来へのリスクがどのようなものか、親ですらわかっていないのに子どもが理解できているわけがない。もちろん、僕もきちんと理解してはいない。
ただ、わかっているのは放射性物質は年齢が低ければ低いほどリスクが高くなるということだ。福島に戻ってくるという選択を自分でしていない子どもたちが最も理不尽にリスクにさらされる。親には親の事情があるから一概に責めることはできない。僕らにできることは子どもたちのリスクを少しでも低くすることだけなんじゃないかと思うのだ。よくわからないリスクを背負っている時点で疲れるだろう、屋外で遊べないことでストレスもたまるだろう、そもそも安心して空気を吸いたいだろう、そんな願いを叶えるべく保養事業を始めたのだ。

宮城県の公園で走り回る姿や、お父さんお母さんと遊ぶ姿、嬉しそうに笑うその表情、それを見ることができただけでやってよかったと思える。子どもたちの未来を守ることは我々大人のつとめだと思うのだ。僕らはお金もないし、権力もないし、実績も実力も何もない。けれど、自分たちにできることを1つずつコツコツとやっていくしかない。それが未来につながると信じている。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!