東京の風

11月末から約1週間東京に滞在。
目的は東京でお世話になった人、会いたい人に会うこと。
人に会うことで新たな刺激や、次の活動の芽が生えてくる我ら夫婦にとって、こうした交流は欠かすことのできないものなのです。

東京で生活してみてまず感じたことは、
「自分たちはなんてゆるい生活を送っていたんだろうか」
ということ。
東京は時間の流れも人の流れも早い。
そして活動時間も長い。
北海道での生活は明るくなったら起きて(娘が)
晩ご飯を食べたら寝る(娘が)
といった感じ。
東京は21時なんて言ったらまだまだ宵の口で、
0時を回っても全然電車もあるし、街はビカビカと明るい。

311以前の自分もこんな生活していたんだなと懐かしくも思う。
当時は今のようなゆるい生活は「悪」と考えていた。
いかに効率良くやりたいことをやり切るか。
仕事に遊びに恋愛に、ゆるく生きる暇なんてなかった。
バリバリ仕事して、稼いで、遊んで消費する。
これが当たり前。
仕事をして周囲から認められることが幸せ。
お金を稼いで消費するのが日々の楽しみ。
そこには何の疑問も持たなかった。
これも一つのライフスタイルであり幸せの形。

けれど今ではこのゆるい状態が自分のライフスタイルになっている。
生活を緩めてバッファを持って生きていることで得られている幸せがある。
勝手な所感だが、今後主流になっていくのはどちらかと言えばこちら側なんじゃないだろうか。

高度経済成長以降、バブル期を越えて続いてきた消費主義社会は崩壊しつつある。
長引く不況で稼ぐことが難しくなった今の若者は消費に夢を見ない。
車もいらない、お酒も飲まない、ギャンブルもしない、キャバクラもいかない。
バブル時代を経験した大人は言う。
「そんなんで生きてて楽しいか」と。

311以降、世間の価値観は大きく変わってきていると感じている。
自分自身、大きく価値観が変わった。
消費して楽しい!幸せと感じることは一時的で、長続きしない。
むしろ虚しさすら感じることもある。
オナニーと一緒。

それよりも、「おいしい」とか「面白い」とか、
「一緒に何かができる仲間」とか、「健康」「自由」なんかに価値を感じてしまう。
結局これまで価値として感じていた「稼ぐこと」「社会的地位」も、
その延長戦上にあるだけのことで、目的ではないのだ。
稼ぐことは目的ではなく結果。
いっぱいお金稼いで、社会的地位があっても幸せじゃなかったら意味ないじゃんね。
(もちろん、それが自分の幸せならそれで良いと思うが)
まずは自分が幸せな生き方をする。
幸せを追求した結果なら、どうであれそこまで後悔することもなかろう。

新百合ケ丘の駅ですれ違った若者3人衆は将来の自分の幸せを目指して生きているのだろうか。
小田急線で隣に座っていたおじさんは、電車に揺られている同じような毎日に流されていないのだろうか。
カフェの隣の席で「子どもに与えるパンはオーガニックに限る」と
熱弁をふるっていた主婦の家の食卓に並ぶ野菜は、どんなものなのだろうか。

東京は見えない大きな流れに誘導され、流れに乗ることに焦りつい思考が停止してしまう。
考えないって楽だからね。
そして飛んでるWiFi多すぎよね。体に影響ないのかな?
刺激が多すぎて頭が休まらない。
こんな躁鬱の躁状態が続いてたらたまらん。
「癒し」が求められるわけだ。
そうだ、東京の人が癒しに来たくなる場所を作ろう。

東京の風にあたったことでふとそんなことを考えた。

※この内容は2015/12/1に書いたものです。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!