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僕のafter.311 《17》千年の伝統は守られるのか

南相馬は毎年7月になるとお祭りのため町全体が慌ただしくなる。『相馬野馬追』というお祭りだ。
僕が子どもの頃は7月23日、24日、25日の3日間でやっていたのだが、近年は梅雨の影響なのか、観光客の入りを考えたのか、7月の最終土日月の3日間に変更された。東日本大震災の影響を受けた今年、伝統のお祭りを開催するのかどうかで地元では相当に揉めたらしい。

相馬野馬追とは

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相馬野馬追は旧相馬藩一帯で行われている伝統的なお祭りで、毎年数百騎の騎馬武者が出陣する。北は相馬市、南は原発のある大熊町、西は飯舘村までが旧相馬藩だ。1日目は宵祭。中村神社、太田神社、小高神社の各神社で出陣式が行われる。特に相馬市の中村神社では総大将となる相馬家の主君が出陣式を行うためとても厳かだ。南相馬市鹿島区で北郷にいる副大将が総大将お迎えの儀式を行う。夜は原町区の旭公園に出店と櫓が立つ。相馬盆唄が流れ、櫓の周りで踊り歌い、出店を楽しむ。2日目はお行列。原町区のサンライフに集合し、そこから合戦場であった雲雀が原まで騎馬武者が行列をする。雲雀が原では甲冑競馬と、数百騎が一斉に打ち上げられた御神旗を取り合う神旗争奪戦が繰り広げられる。3日目は小高神社にて裸馬を追い立て、捕まえて神様に奉納する儀式が行われる。このような現在と同じ形式になったのは明治以降だが、この儀式自体は平将門を起源としていて、1000年以上の伝統を誇っている。相馬家は現当主が33代目。遡れば、平将門にも、桓武天皇にもたどり着く家柄。2011年の今年は34代目の若殿が総大将を務めるそうだ。これまでは野馬追に400〜600騎が出陣していたそうだが、311のあった今年はどのくらい出陣するのか。


震災直後の相馬野馬追

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結論から言うと、相馬野馬追は開催された。内容を短縮しての開催ということだった。奉納される3つの神社のうち、太田神社と小高神社は20キロ圏内にあるため、そもそも立ち入りができない。できる範囲でやろうということらしい。僕はこの祭りを見るために毎年できるだけ実家に帰っていた。夏、お盆に帰るくらいなら野馬追に帰る。僕はこの週末は相馬野馬追を見ることに使うつもりだった。ところが、NPO法人の方で支援物資の配布を行うというので、金曜日の夜のうちにレンタカーで南相馬に入り、朝っぱらから荷物を積み込んで中村神社へと向かった。中村神社は想像以上の人の賑わいだった。地元の人はみんな野馬追を楽しみにしていたんだな。中村神社でふとデヴィ夫人を見かけた。有名人もちらほらきていたみたいだ。中村神社では出陣前に総大将が訓示を行う。緑に囲まれた神社の境内、足元の砂利の音だけがカラカラ聞こえる。まるでタイムスリップでもしたかのような厳かな雰囲気の中で行われた総大将の訓示は鳥肌が立った。

「これより出陣する! 一日も早い東日本の復興を念じながら行軍してほしい。無事凱旋することを念じて訓示とする」

みな、それを願っている。我ら相馬の民はそれを殿様に言っていただくことに意味があるのだ。

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