僕が今、サラリーマンをしていない理由

大学卒業してからはサラリーマンだった。
当時、起業に就職する以外の選択肢は思いもよらなかった。
他の選択肢といえば、せいぜい大学院に進学することぐらいだろう。
それが今、なぜかフリーランスとなっている。
いや、今年は『合同会社番-TSUGAI-』を起業し、起業家となった。

最初の転機は311。
故郷が大変な事態になっていることを知り、何かできないかと地元である南相馬に通い始めたことだ。
広告業界のサラリーマンをしながらの復興支援活動は本当に大変だった。
日々深夜まで働き、海外出張も多かった当時の仕事と福島の活動との二足のわらじは容易ではない。
どうするか考え、二足を一足にするしかないという結論に至った。

「サラリーマンはいつでもできる。しかし、大災害を受けた故郷の役に立てるタイミングは一生のうちに今しかない!」

そう考え、サラリーマンを辞めることにした。
当然、家族や仲間からは大反対されたが、意志は固かった。
南相馬ではNPO法人の経営に参画し、続いて個人事業主にもなった。


次の転機は結婚だった。
結婚直後は札幌と南相馬と、別々に暮らしていたが、子どもができたことで決断を迫られた。
母子の不安を考えるとまだ福島ではない。
福島で進めていた事業を次々と打ち切り、単身札幌へと向かった。
札幌は全く縁もゆかりもなく、その中で稼がなくてはならない。
幸い、「うちで働かないか」と声をかけてくれたところがいくつかあった。
ところが、だ。

「サラリーマンは無理」

と妻は言う。
「私一人で子育てなんて無理」
「勤めないで稼いで」
なんという無茶振り!!

どんな仕事でも人とのつながりは必定。個人事業主ならなおさらだ。
そもそも、自分自身何を仕事として人の役に立てるのか曖昧なまま。
これまでは周囲に恵まれていたんだと実感した。
お腹は大きくなる。
貯金はガツガツと目減りする。
それでもバイトだけはしたくないというのが最低限のプライドだった。

苦しみながらもできることからコツコツ始めた。
ウェブコンテンツライターや、プレゼン資料作成など単価の安い仕事をたくさん請け負った。
やれることはもちろん、やれそうなことも何でも請け負った。
北海道での素敵な出会いや、周囲のサポートのおかげで、今までなんとかやれている。

僕が今サラリーマンをしていない理由、それは妻の一言だった。

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