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僕のafter.311 《18》トンネルの誓い

復興支援活動をする中で再開したもう一人の同級生がいた。彼は大学を8年かけて卒業して地元に戻っていたときにちょうど被災したのだと言った。彼、ヨシくんとは高校で同級生だったが、高校時代は大して話をしたこともなく、卒業後、同じ仙台の予備校に通う仲間として仲良くなった。交流があったのはその1年のみで、大学に入ってからは互いに音沙汰なし。ケンスケ同様、ヨシくんとも10年ぶりの再会となった。

彼もセージくんと一緒でちょうど仕事をしていなかったこともあって、ケンスケが立ち上げに関わったNPOの手伝いをしていた。このNPOには理事長と二人の副理事長がいた。この三人に加え、サポートメンバーとしてケンスケ、セージくん、ヨシくん、僕が関わっていた。このメンバーで理事会を行い、今進めている事業の進捗と今後の活動について話し合った。
理事会終了後、僕らはダムの近くにあるトンネルまで車を走らせた。時間は夜21時。当然誰もいない。オレンジ色のトンネルのライトのみが周囲を照らしてる。町からは車で20分くらいかかるだろうか、なんでこんなところまでわざわざ来てしまったのか、一緒に行っておいて全くの謎。その場の勢いとしか言いようがない。話し合っていて僕らはそれほどに使命感に燃え、昂りを抑えきれなかったのだ。誰もいないトンネルを歩きながら、この街をどうしたいのか、自分たちに何ができるのかを熱く語り合った。

今この時点で僕らの立っているこの場所が何シーベルトあるなんて全く知らない。それが自分の体にどのような影響を与えるかなんてのも知らない。最悪死ぬのかな。そうだね、死ぬこともあるかもしれないし、寿命が縮むこともあるかもしれない。
でも僕らは今を生きている。今この時を全力で生き切らないでどうする。命をかけてでもやる価値のあるものが今ここにある。人生をかけるだけのやりがいと感動と、救いがある。故郷の危機に立ち上がった我らは志を持った『志士』なのだ。
この日この時、死と隣り合わせのこの町で仲間たちと誓ったから、放射能への恐れをどこかへ吹き飛ばして故郷の復興へ舵を切れたのかもしれない。

後から知った話だが、この場所は高線量地域であったそうで、後日立ち入り禁止区域となった。

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