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僕が36歳で幼稚園生になった理由

「孝介トモエ登園政策」と「慈の放牧宣言」

僕がトモエに行くことに決めたのは春分に行った夫婦会議でした。私たち夫婦はこの春からの働き方改革について話し合い、具体策として「孝介トモエ登園政策」を打ち出したのです。
伊藤家の働き方改革の骨子は次の通り。
【孝介の主張】
好きなことを仕事にしたい。大してやりたくない、面白くもない仕事は辞めてしまいたい。(既に春分時点は多くの仕事を打ち切っていました)
【慈の主張】
子育てに追われるだけでなく、もっと人と社会と関わりたい。私が私でいれる環境を作りたい。

それぞれの主張・希望に加え、それぞれの特性や得意分野、好きなことを整理していくと、慈のほうが人と接するのが好きで、初対面でもグイグイ話を広げられる。そして面白いものへのアンテナが高く新しいコンテンツを次々と発掘してくる。
僕はというと、人と接するのは正直そこまで得意ではないが、数字を管理したり、物事を組み立てたり、ちまちまこまごました作業が好きで、イメージを具体的な形に落とし込める。
つまり、新大陸を発見する慈が船長で、僕は航海士のような関係がしっくり来るのではないかという結論に至りました。ワンピースでいえば慈がルフィで僕がナミのようなものですね。ビジュアルは全く異なるので深くイメージしないようお願いします。
慈が冒険することで新大陸を見つけてきてもらい、それを開拓していくのを僕の役目にしようと決めました。僕による「妻の放牧宣言」です。そのため、慈の自由な時間を確保するべく、僕もトモエに行くということになりました。
この取り決めで良かったのは、それぞれ「稼がなきゃ」「育児しなきゃ」というストレスとプレッシャーを縦割りじゃなく横の協働という形で二人で分配できたこと、そして仕事もトモエで起こった出来事や発見も、共通イメージで共有できるという点でした。


きっかけは感謝祭

そもそも、「僕が好きなことを仕事にしたい」と主張するきっかけになったのは昨年幼稚園で行われた感謝祭でした。ダンスや一輪車を披露してくれた子どもたち、劇や演奏を披露してくれたお父さんお母さん方。みなさんの表情が本当に楽しそうで、衝撃を受けました。大人が本気で楽しむから、それを見ている子どもたちも本気で楽しめるんだと気づいたと同時に、あれ?自分はなぜ楽しくないこと、好きでもないことをやらねばならないんだろうと疑問に感じたのでした。そして、自分の好きなこと、やっていて楽しいことってなんだっけ?というもう一つの疑問にも行きつきました。それ以来、「楽しい」の原点について考え出し、トモエで遊んでいる子どもたちの行動や表情を目で追うようになっていきました。自分とは何か、好きなことは何かを見つけるために自分の過去を見つめ直しました。そういったプロセスがあったからこそ、トモエ幼稚園に通うことが今の自分に必要なのだと思えるようになったのかもしれません。


震災復興と育児に共通するのは「今しかできない」こと

僕の人生の最大の転機は311でした。東京で広告マンとして働いていたのですが、故郷である南相馬が大変な事態になっていることを知り、何かできることはないだろうかと悩んだ末、会社を辞めて復興支援活動に身を投じることを選択しました。この時の決め手となった考えは「今しかできないことをしよう」というものでした。きっとサラリーマンは数年後でもやれる。でも、これだけ苦境に陥っている故郷を手助けできるのは一生のうちで今しかない!今やらなかったら絶対後悔する!
こうしてサラリーマンという安定を捨て、収入ゼロのNPO活動をはじめました。その活動の中で慈と出会い、こうして結婚し家族を作るに至ったので、今思えばある意味結果オーライです。

我が家は妻のたっての希望から、娘も息子も誕生を自宅で迎えました。一人目も二人目も、涙が頰をつたってきたことを覚えています。人間の誕生の瞬間は筆舌に尽くし難いものですね。あの瞬間の感動があったからこそ、生まれてきた子どもと向き合いたいと思えるようになったのかもしれません。
娘が生まれて間も無く、ネットである記事を目にしました。どこか海外の大学の研究記事でしたが、「女の子の彼氏選びの基準は幼少期の父親との関係が深い」というのです!父親の愛情をしっかり受けて育った子は、本物の愛情について体験をもって判別ができるので、変な男に引っかからないとのこと。娘を溺愛していた僕にとって、すぐに「これは最重要事項だ」と直感しました。我が子の将来の幸せは今、自分の愛にかかっているのだ!!!!
ここでもはたと気づいたことは、「今しかできないことをしよう」というものでした。仕事は後からでもできる。キャリアなどは後からでも積める!自分が働かなくとも社会は回るが、娘に愛情を注げる父親は我一人!そして、娘に十分な愛を注ぐのは彼女が幼い今必要なことだ。そう考え、優先的に子育てに向き合うようにしました。

初めて寝返りをしたこと。
歯が生えてきたこと。
おまるでおしっこできたこと。
初めてハイハイしたり、つかまり立ちしたこと。
初めて意味のある単語を口にしたり、目を見てパパって言ってくれたこと。
出がけに「パパ行かないで」と言って玄関のドアの前で寝転んだ泣き顔や
寝る前に本を読んで欲しいとおねだりする表情。
こうした数々の「今しか味わえない」感動を逃してしまうのは短い人生の中で本当に勿体無いことです。これらの思い出は何ものにも代え難く、あの時あのタイミングでしか味わえない貴重なものでした。


僕が幼稚園に通う理由

自分自身でした選択でしたが、仕事を通した社会的なポジションがないことについて、心のどこかにある不安は長らく拭えませんでした。やっぱり男性って肩書きであったり稼ぎであったり、社会的な地位やポジションが欲しいものなのです。そうしないと社会から認められないという強迫観念を持っているのです。そして、なんだか居心地が悪いのです。男性が皆そうだとは断言できませんが、少なくとも僕はそうでした。そうしたステレオタイプの思考から脱却するのに何年かかったでしょうか。

最近読んでいる「戦国武将の精神分析」という本の中で、脳科学者・中野信子氏が父子の関係についてこう述べていました。
『どうやって、脳に父子の絆ができるかというと、「一緒にいる時間の長さ」が重要なのです。(中略)父子の絆は、身体的な経験を伴わないので「一緒にいる時間の長さ」「共有した経験の多さ」により個体同士の絆、愛着が少しずつ醸成されていくものなのです』
母子は出産時に絆ホルモンと呼ばれるオキシトシンが出て母子の絆ができるが、父子はほぼ他人と一緒なのだそうです。
この文章を見て、自分の選択についてお墨付きをもらえたような気持ちがしました。子どもと過ごす時間はやっぱり重要だったのだと。
今年から幼稚園に通い始め、同じく通っている子どもたちもお父さんお母さんたちも、誰も肩書きなど気にしていないことに気づきました。そんなことより、どう子どもと向き合っているのか、どう自分と向き合っているのかの方がはるかに大切なことなのだとみなさんの背中を通して学ばせてもらっています。
僕は父子の絆を作っていくのにトモエ幼稚園の経験は稀有でエキサイティングだと感じています。また、夫婦のコミュニケーションコンテンツとしても非常に有益です。ここ1ヶ月、共に通うことで夫婦の関係、子どもとの関係が良くなったように感じています。

長くなりましたが、僕が幼稚園に通う理由は以下の3つです。
1、 夫婦がそれぞれ「私は私」でいれる選択であること
2、 自分にとっても子どもにとっても、今しかできない体験であること
3、 家族の絆が深まること

この歳で幼稚園生になるなんて、思っても見ませんでした。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!