人生慣らし保育
「自分の育て直し」を始めたのは大失恋をした去年の夏の終わりだったと思う。
そこから約半年。
じわじわと生きやすくなっていくのを感じている。
その一方で、自分の育て直しということの難しさを実感している。
“育てる”と“育て直す”は違う。
別に正しくなろうとしているわけではないので、“矯正”とは言いたくないが感覚的には似ている。
私は幼稚園のときからローマ字タイピングができたが、指遣いがめちゃくちゃ。直したいけど、1回間違えて覚えたものを覚え直すのは難しい。最初からちゃんと教えて欲しかったと思う。
何も持っていない状態から何かを手に入れるのと、何かをすでに持っている状態からそれを手放して新しく手に入れることは結構違う。
しかも物理的に見えるモノならともかく、生きづらい原因になっている考え方を手放して、生きやすい考え方をできるようにするなんて難しすぎて途方にくれそうになる。
本当にこんな感覚。
でも確実に進んでいる。
二歩下がることに耐えないと、一歩進むことはできない。
周囲から見た私はまだ特になにも変わってないように見えるだろう。
むしろ、他人の顔色をうかがうのに使っていたエネルギーを自分のために使うようになったのでマイナスに見えているかもしれない。
それが少し、いや結構辛いけど、いろんなことを諦めて、捨てて、大切なものだけが残るんだと思う。
そしてその辛さを誤魔化すための最近の心の口癖は
「今慣らし保育中だし!しょうがない!」
疲れちゃったら
「頑張りすぎちゃったね!もっと少しずつ難易度上げよう!」
慣らし保育中だしは言い過ぎかもしれないけど、まあ人生1周目だし、初心者だし、と言い聞かせる今日この頃です。
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