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今に続くと思い返した『14歳の栞』

『14歳の栞』(2021)
監督:竹林亮
企画・プロデュース:栗林和明
配給:パルコ

〜STORY〜
とある中学校の3学期、「2年6組」35人全員に密着し、ひとりひとりの物語を紐解いていく。
そこには、劇的な主人公もいなければ、大きなどんでん返しもありません。
それなのになぜか目が離せないのは、
きっとそれが「誰もが通ってきたのに、まだ誰も見たことのなかった景色」だから。
そしてその35人全員が、どこか自分と重なってしまうからかもしれません。
まだ子供か大人かも曖昧なその瞬間、私たちは、何に傷ついて、何に悩んで、
何を後悔して、何を夢見て、何を決意して、そして、何に心がときめいていたのか。
これは、私たちが一度立ち止まり、
いつでもあの頃の気持ちに立ち返るための「栞」をはさむ映画です。

https://14-shiori.com/

  ドキュメンタリーとかこつけていても、映画には往々にして意図というものがあるわけで、その意図を汲み取って感想を書きたいと思います。この編集から汲み取れるのは、14歳の限界と大人になるということだと思うので、それを主軸に。

 まず思ったのが、「14歳ってすぐ限界決めるやん!」。「医者は時間がかかるんで看護師でいいかなって」「続けるなら高校までです。才能ないんで。」「絵が上手い人は沢山いるんで。」「美容師がダメなら、ダンサーでいいかなって。」などなど、自分の限界を早々に決めた子どもたち。
 でも、自分の夢も振り返ってみると、割と限界を自分で決めてたなと思う。特に中学生。覚えてる限り、幼稚園の時にマジシャン、中学生の時に公務員、高校の時に遺跡発掘、大学で臨床心理士なので、紆余曲折あって一番手堅いところを目指していた。しかも、公務員なら手堅いし簡単だと思っていたけど、業務内容は別に興味ないしそもそも何をするか知らなかったし、なんなら競争率高い!。。。というのは今だから思うこと。

 周りを見て明るい人もいて、ぼっちもいて、自分と他人を比較する時期なんだと思う。比較することで自分がどう見えているかメタ認知をできるという良い面もあれば、そこで自分の限界をひいてしまうんだろうな。でもその倍以上生きた今から思えば、才能とか限界って別に大人になっても定義できないし、そもそも才能がなくても努力でカバーできる部分が多そうだけどなと思う。ただ、自分は今の職に才能というか適性を感じるし、そもそも1位じゃなくて多様性がいかせるジャンルなので、あまり一般的なことは言えないかな。

 14歳の私は、他の人と比較しても、背は小さいメガネだし、賢い方だけどその後東大京大に行く友達が身近にいて、運動部でもテニス部のダブルス3番手、友達はいるけど別にカーストの上の方でもない。はじめから1位を目指すことは諦めていたし、それより夜更かしして漫画やアニメを見たかった。今思うと、このインプットの奴隷になっていた時期が、映画が好きな自分に繋がっていたのだと思う。

 さらに、どうしても好きな人がいたけど、相手にアプローチする度胸もコミュ力もなく、ひたすら心理学に興味を持っていた。同時に、友人がPTSDとなったのも大きい。意味のわからない人の気持ちのヒントが心理学にはたくさんあって、もはや人以上に心理学に興味を持つという本末転倒さだった気がする。ちなみに好きになった子には声すらかけていない。 これもまた、今の自分に繋がっている。

 逆に今の自分とは真逆だと思うのは、綺麗事が大嫌いだったこと。人に優しくと言われると、「優しくしたやつが損して、狡猾な方が生き残る!」と非常に捻くれていた。組み分け帽子を被れば確実にスリザリンだった。それが今は尊敬する人の一人にマザー・テレサがいて、どんな人とも根気よく話し合えば分かり合えると思っている。多分中学生の自分にこれをいうと全否定されそう。でも、話し合ってまで分かりあわなくてもいい人はいると思っているあたり、14歳の自分はまだ生きている。

 色々と思い返して今の自分を振り返ってみると、意味のわからない”人の気持ちを理解しようとする補助線”として映画を見ていることに気づかされた。清濁混淆として自他共にその真理が解明できない人間の心理。もちろん心理学はあくまで統計として傾向がわかるだけで、古典的な精神分析論はもはや自己啓発本。そんな人の内を、語るでもなく映像で騙る映像の魔力に、好奇心とインプットを止められずにいる。映像は感情や心の内を雄弁に語り、見る人それぞれが同じような感情を共有し各々の感想を述べる。14歳は遠いようで案外近いのかもしれない。


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