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家族とのお別れ③

こんにちは

インド哲学ヨガ講師

ちえこです

初めてのお葬式、

しょうがないのは分かっているけれど、

母が亡くなった後の

バタバタ

(親戚に連絡したり、親戚が来たり、

お葬式のあれやこれやを決めていったり、

はたまた喪服をとりに自宅に戻ったり、、、)の最後の最後に、

「火葬」って、辛過ぎるよね、

と感じました


でも、

お通夜でお経をあげていただき、

その後の遺体に母の魂が

なんとなく、ない、

と感じていたため、


火葬の時もわりと気持ちは落ち着いていられました

遺骨を拾うときに、

むしろ骨って本当に

本で見ていたような

形をしている~と

興味津々で見ていました


そしてそれは、

魂としての

母を、

ずっと感じていたから


亡くなった日の遺体から

寝息のような音が聞こえたり、


しばらくは

母の魂としての存在を感じていました


最近は

旅に出ているのか、

薄れているのですが。

でも話しかければ

いつでも話してくれているような

いつでも見てくれているような

そう感じています


だからそれは

これまでと何ら変わりない


つくづく思うのは、

こうやってあたたかな気持ちで母を想えることが

本当にありがたいことなんだなと

たくさん

愛をくれて

産み育ててくれたからこそ、

「愛」しかないな

「あたたかい」しかないなと

そう思えることが

ありがたい


一人の人間としての

人生を、

そして最期までも

見せてくれたことも

大きな「愛」と感じます


と、同時に、

「わたしは、どう生きる?」

と考えさせられています

必ず来るそのときまでに


母の身体はないけれど、

すごくたくさんのものを

受け取っています


今日もお読みくださり、

スキ、ありがとうございます

与えられた生命

めいっぱい活かしていきましょうね



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