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尾張の郷土菓子“オコシモノ”を初めてつくった日

大人になって初めてつくったオコシモノ

立春をすぎ、地元では親戚のおばさんたちが「オコシモノ」をつくると言うので、私もトライしてみることにした。

オコシモノとは、おこしもんとも呼ばれる、尾張地方に伝わる桃の節句の米粉菓子である。米粉に熱湯を加えて練ったら型にはめて成形し、色付けをしたのち、蒸し上げる。最後に水をかけると、表面にツヤが出る。

色付けは、食紅を水で溶いたものを筆で行うこともあるが、あらかじめ練った団子に食紅を混ぜて細かな色団子にしておき、それを型に組み入れるというパターンもあり、今回は後者で行うことにした。

型は、年上の従姉妹が家の押入れから見つけた古いものを貸してもらった。これがどれもいちいち可愛い。お雛様やお内裏様、タケノコ、達磨などのほか、ミッキーマウスやのらくろの型もあって、見ているだけで興奮した。返してみると、親戚の名と、購入した日付が刻まれていた。見れば、「昭和 拾四年」とある。

昭和14年といえば、太平洋戦争開戦の直前、ノモンハン事件が起こった年ではないか。そんな年にミッキーのオコシモンの型が売られていたのか、まだまだ平和だったのだな。などと考えながら、作業を開始。

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本来は、型に打ち粉をして、直接かたどるのだが、汚れてしまうと思ったので、ラップを敷いた。イマイチ、ディテールがうまく出ないのだが、そこそこかわいらしいオコシモノが続々と出来上がる。数あれば、成形も大変だが、蒸すのも労力が要る。これはおばさんたちでお喋りをしながら淡々と続けるべき作業だな、と思う。

懐かしのオコシモノ。その味は……

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蒸しあがったオコシモノは、かつては炭火で、今は、トースターやフライパンなどで焦げ目をつけて食べる。味つけは、砂糖醤油が合う。

湘南育ちの息子に一つ焼いてやると、

「わーい!招き猫だ!」

と喜んで首からちぎって食べた。それは、のらくろだよ・・・わからないかもしれないけど。息子は砂糖醤油が好きなので、「おいしいね」と言ってペロリと平らげてくれた。私も、生醤油・砂糖醤油・つけて味噌かけて味噌の3種類を用意して、扇型のオコシモノを一つ食べた。

うん。この味だ。

子どもの頃は、全然好きじゃなかった、もそっとした、素朴な味だ。

そう、私は何を隠そう、オコシモノが嫌いだった。雛祭り前後になると、親戚の家でも、友人の家でも、遊びにいくと、オヤツにオコシモノが登場した。

「オコシモノだよ〜」

大人から声をかけられると、ガックリしたものだ。オコシモノを食べるくらいなら、餅がいい。そう思っていた。

それでも、オコシモノは、それこそ紅茶に浸したマドレーヌのように、幼少期の記憶をビンビンと呼び覚ませてくれた。広い土間続きだった、古い本家。床が抜けそうな部分があって、そこにゴザカーペットが敷かれていた、幼なじみの家の居間。ああ、懐かしい。久しぶりに食べてみるのも、悪くない。これから毎年、つくることにしようか。そう思った。

老いることって簡単には受け入れられないんだな

オコシモノを食べてお回顧気分に浸っていたとき、母が叔父の近況を教えてくれた。私の父の実兄にあたる叔父は、84歳。オコシモノの型よりちょっと年上だ。

叔父は妻とは早くに死に別れ、独身を通してきたが、恋人に不自由することのない人生だった。去年まで、20歳以上下の女性たちと付き合い、二股していたと言うのだから、見上げたものだ。ちなみに身長は150cm以下だ。モテって、年齢や容姿は関係ないことを教えてくれた、昭和の色男なのである。

その叔父が、うつ気味だというから驚いた。つい最近、心療内科を受診したという。理由は明快で、「免許返納」だった。いや、実際には「免許取上げ」が正しいか。

免許更新における認知機能検査で、思い切り不合格を食らった叔父は、運転免許を失った。それまで体に見合った小さな軽自動車で、どこにでも飄々と出かけていた叔父。さほど不便な場所に住んでいるわけではないが、場所は車大国・愛知県である。免許を失うことは、翼をもがれたに等しい気持ちになったことだろう。

ああ、かわいそうに。老いを受け入れられないんだな。母と私はそう話した。

池袋で、母子を死にいたらしめた高齢ドライバーが無実を主張しているらしいけれど、彼もやはり、老いを受容できない人間のひとりなのだろう。この人の是非はともかく、すべての人が歳を重ね、やがて免許を持てない日がやってくる。そのときに、私の叔父のような喪失感でつぶれないためには、何ができるだろう、そう考えた。

私が免許返納を考えるとき、世の中には自動運転システムが整っているだろうか。車自体には問題がないとしても、全道路で事故が起きないように整備するには、まだまだ長い時間がかかるような気がする。やはり、早い段階で、車をもたずに暮らす生活にシフトしていくべきなのだろう。だったら、老後は、どこに暮らすべき…?

いつかは湘南から実家付近へ戻ろうと考えていた私だが、叔父の一件から、また悩みはじめてしまった。駅も近く、歩いてスーパーもある今の住処は、老後を過ごすのに悪くない。ただ、津波が怖いのだ。

もうすぐ、あの日から10年がやってくる。

また書きます。




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