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死ねばいいんじゃね

恋人関係が終わった今でもテンポよく顔を合わせている

私の仕事が終わる時間がタイミングよく向こうと合うのだ


もう恋仲じゃなくなったなら顔も見たくないはずでしょ?


そうなんよなー
でもなんか会っちゃうんよ

友達に戻れてしまうんだよな、お互い

お互い神経にバグをきたしているので、何故か”友達”のレッテルを貼ることができる


同じ職場で働いていた時は必ず帰りに私の家に寄って、ハグをして、キスをして帰るのが日課だった

外で遊ぶ時があれば手を繋いだし、「好き」だの「可愛い」だの何でも口に出して伝えた


それが4月に入ってパタンと無くなった
恋人関係が終わったからだ

正しいことなんだけれど、今まで当たり前に行われていたことが突然無くなると、それが妙で可笑しくて笑けてきてしまう


でも仕事終わりに会ってすることといえば前と変わらず、タバコを吸ってお互いの話をして家まで送ってもらうだけだ

「今日はやめよう、まっすぐ家に帰らなくちゃ」

と思っているのに、何故か23時までどこかで時間を潰してあたかも
「今駅に着きましたよ」
を演じている自分が酷く滑稽で気持ちの悪い生き物に感じる

顔を見れるだけで幸せを感じるとは、自分は随分コスパの良い女である



先日、やっと奥さんの写真を見せてもらった

自分がお願いしたことで嫌と言われたことはほとんどから無かったが、これだけはずっと否定され続けていた

「全然タイプじゃないし、普通に恥ずかしいから」

と散々前置きをされて見せられた奥さんの写真

別に美人とか不細工とか、何も思わなかった


ただ

「あー、結婚してんだな」

と思った


今まで話しか聞いてこなかった私に奥さんの写真は
あまりにもリアルで鮮明で

絶対的な”不可能”を感じた

正直別れた時よりダメージが大きかった

私は選ばれなかったのだ

落選、落第

落ちこぼれ


奥さんと別れられない理由も聞かされたし、その理由は深く理解している
別に二人の関係を否定したりしない

だけど選ばれなかったという事実は確かにそこにあるわけで



家に帰って1人になった時
あー死にたい!!

と強く思った

こんなに強い希死念慮に襲われたのは生まれて初めてだ


最近自分が生きてる意味を探してしまう

意味など自分が作っていくものなのかもしれないけど、なんかもう、いいのだ


「絶対に俺のせいやな」


と申し訳なさそうに言っていたが

そうだよ

あんたのせいだよ


あんただけじゃないけど、でもあんたのせいでもある


「まだ20歳なんだから」

ってめちゃくちゃ言われるけど

違う!!
違うよ、全然違う


もう20歳なんだよ

ティーンエイジは終わったし、青い春なんて言ってられない
ニキビじゃなくて吹き出物だし、保険も年金も払わなくちゃいけない
あと税金


あー
このまま死ねたら

彼にとって私の死は自分の人生の汚点になることだろう

私は彼が私の死を背負って生きていくことを密かに望んでいる

彼女の死は私が導いてしまった
そう思って欲しい

そう思って然るべきなのだ


だけどそんなこと、絶対彼には言わない

本当に死ぬその時は誰にも言わずこっそり死ぬ


連絡が取れなくなって異変に気付いた時には全てを背負ってもらおう

自己中でごめんね

でももう少し生きてみる
もしかしたらいい事あるかもしれないしね


そんで私は結局
今日も彼と一緒にタバコを吸う

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