進撃の巨人【僕の戦争/神聖かまってちゃん】歌詞を本気で考察・解釈してみた

ついに出た、「進撃の巨人」ファイナルシーズンのOPを担当した神聖かまってちゃんによる「僕の戦争」フルver。

進撃の巨人ファイナルシーズンのオープニングを見て「神聖かまってちゃん…!!」となった去年の12月からずーーっと、

フルバージョンを今か今かと心待ちにしていた。

そう、筆者は神聖かまってちゃんの大のファンなのだ!

そして、進撃の巨人というストーリーも最近生きがいと呼べるほど愛している。

(どのくらい好きかというと、会社の1時間休憩にわざわざネカフェに赴き一気読みするくらい好き)

なので、筆者にとって『僕の戦争』は、愛している×愛しているの激アツコラボ曲!

もう何十回も音楽をリピートした。曲解釈も、かなり熱が入っている。

・後半を日本語にした真の意図

・進撃の巨人との「つながり」

・結局、の子は何が言いたいのか

一人で読み解くには難解すぎるこの素晴らしい歌詞。

内容が内容故にかなり難しいとは思うが、できる限りの力を費やして簡単に表現したので、ぜひついてきてほしい。

(ちなみに現在日曜深夜を迎える筆者は、そういうことでそろそろ進撃の巨人リアタイ視聴に向けての準備真っただ中である。離れた場所でもワクワクした気持ちは一緒♡)

の子の一世一代の代表曲、もっと深く味わおうではないか。

前提①:ミクロとマクロの2部構成

進撃の巨人のテーマの一つが「ミクロの視点とマクロの視点で善悪がガラっと変わること」だと思っている。

進撃の巨人の物語自体、もともとはエレンが確固たる善で、巨人が絶対的な悪なミクロな話だった。

が、視点を広げると一筋縄にはいかない。善悪はもっと複雑で、

視点がぐわっと変わったからこそ進んでいく物語になっている。

「パラディ島編」と「世界編」の「ミクロ」と「マクロ」の2部構成。

その物語を模倣するかのように、

この曲も「世界編」と「学校編」の2部構成になっている。

2部構成の間のの子の鼻歌のシーンを境に、大きな変化がある

英語(ワールドワイド語)→日本語(ニッチ語)
歴史(瞬間の連続)→今(瞬間)
男(大きい)→女(小さい)

ちょうどマクロからミクロに、ということを言語、内容すべてフルに使って表している。

(余談で言うと、の子は進撃とのタイアップが決まった際スタッフから「壮大な曲」をオーダーされたらしい。

たしかに初の聖歌隊を使用したり壮大な曲調にしたが、曲調自体だけではない。

作品の世界観と神聖かまってちゃんの世界観

「2つの世界観を包括」することで、幅を広くもたせたのではないか、と筆者は想像している)

前提②Destruction、Regeneration

そして、このミクロとマクロの世界はぶつかり合い、相互しあいながら破壊と再生(Destruction and Regeneration)

を繰り返す。

マクロは最終的にはミクロの問題になり、ミクロは最終的にはマクロの問題になる。

(進撃の巨人も、小さく始まり大きくなり、最終幕巻に近づいた今、結局個々人の心の内に話が集約されていっている)

その両方にも通じることもあれば、相違することもある。

「前半と後半の共通点・相違点」は「進撃の世界と「私」の世界の共通点・相違点」ともとれる。

本作『僕の戦争』(=My war)と『進撃の巨人』(=world war)の共通点の一つは、「使命を背負っている」ことだ。

『進撃の巨人』(=world war)では、「進撃の世界」を生きる戦士や兵士に背負われた「戦場で戦え」という使命。

『僕の戦争』(=My war)では、「私」に背負われた「学校へ行け」という使命。

そして、相違点は

戦士や兵士は「命がかかってる」のに対し、「私」は「命がかかってない」ということだ。

戦士や兵士は外界に命を見限られているのに対し、「私」は外界によって守られているので死ぬことはない。

より安全で守られてるということだ。

※ちなみに、サビの「ラティティティラス」を「スペイン語」と言っている方も見かけますが

の子さん自身が配信で「あの言葉に意味はない」と言っていました。

「進撃の巨人」の作品の趣旨を考えても、「意味は文脈に基づく」ことをテーマとしており。

要するに、「何を言っているかは、この曲を聴いている君の心の文脈に従っていいよ」ということだと考えられます。

(なので、「スペイン語だよ」というのは「正しくない」けど「ある意味正しい」です。「君の中ではね」ということです。」

前提③「you are the real enemy」

君こそが本当の敵。

「こそ」というからには、何か「より」のニュアンスが含まれている。

何かとは?

「君以外のもの」すなわち「外界」だ。

要するに、「world war」より「my war」のほうに目を向けろ、ということを言いたいのではないだろうか。

内面(my war)による死

「夕焼け小焼け逆さまに」

ではさっそく本歌詞に入っていこう。

この歌詞は、飛び降りを表しているもので間違いないだろう。

自殺をどれだけほかの言葉に言い換えたとしても、これ以上わかりやすくは言えない。
「飛び降りて〜」なんて言ってしまえばコンプラ的に即アウトだ。

このくらいがちょうど「バレはしないけど伝えられはする」くらいの

の子の考える、最大限のぼかしの表現なのだろう。

ただ、本当に飛び降りをしているわけではないと考えられる。

直後に「寝なくちゃね」と言っているから、明日起きるつもりなのだ。

「精神的な」死をリアルに想像している。

リアルに想像するということは、それを願っているということだ。

恐らく下校中にビルか何かを発見し、「あ、飛び降りたいかも」、とそこから見える風景の想像をうたった、そんなところだろう。

そして「帰り道を失くした」とも歌っている。

なぜこんなにも追い詰められているのか?

「宿題をやって寝なくちゃね」

学生にとっての「使命」は「学校に行く」ことだと言った。

帰り道を終わらせない!って泣いていいよ、今だけは

この歌詞からも、主人公はよっぽど「帰りたくない」のだとわかる。

なぜか?

の子の過去、いじめにあっていた。

その経験も含めて考えると、おそらく「帰ったらまた明日が来てしまうから」帰りたくないのだろう。

「他人の影踏み 気づいたら夜明け 一人きり」は、自分以外の誰かを追いかけて(ほかの人が構築した世界観(=サイトやYoutube、ゲーム諸々)を見たり、SNSに入れ込んだりして)夜更かしをすることのたとえだと捉えられる。

明日が来てほしくなくて、ネットサーフィンをして(他人のレールに乗って)、気づいたら夜明け…
…早く寝なきゃ

みたいな日、ないだろうか。まさにそれだ。

ここで大事なのは、

「私」は宿題はやるわけだ。そして、結局無理やり寝て、無理やり学校に行くわけだ。

内面の私が、外界に負けている。それも自ら負けを認めている。

この内面の諦めって戦争で言うと何だろうか。

そう、降伏だ。

「帰り道を失くした」も、本当に帰り道がないわけではない。宿題をやったり寝るところ=家はあるはずだ。

大きく意味をとって「行き場を失っている」「袋小路になっている」のたとえだと言える。

外界(world war)による死

「落ちていく巨人」

一方、「夕焼け小焼けさかさまに」について、進撃の物語内でも同じようなシーンがある。

「飛行機から無垢の巨人が落ちていくシーン」だ。

「巨人化される人間たち」の中に、一人でも「自ら死を願った人」はいたか。

巨人化する最後まで歯を食いしばり、生を願う者ばかりだった。

きっと誰一人として死にたかった人はいるまい。最後まで死を恐れた。嫌がった。

The pain in my heart getting higher

「学校に通う子供」「戦争真っただ中の兵士」

どちらが安全だろうか。どちらが恵まれているだろうか。


「自ら死を願う子」

「死を最後まで嫌がる大人」

どちらの方が健康だろうか。痛みが少ないだろうか。幸せだろうか。

君の内面を殺す君自身

それこそが本当の敵だ

こう言いたいのだろう。


(そういえば作中に出てきた自ら死にゆく人たちも、「知っている(情報に恵まれている)人だった」。

ライナーも、閉じ込められたパラディ島自体も、付箋の契(戦争からの降伏)を結んだ王も、(ひょっとしたらエレンも?)

強いからこそ自らによる死を望んだ。

逆に、生気に満ちている(た)のは、「知らない(情報に弱い)人だった」。

ガビや昔のエレンはなんで仲間が死んだのか「わからない」

エルヴィンやアルミンは壁外がどうなっているか「わからない」

できないから、わからないから、生き生きしていた。


世の中が平和でも戦争でも関係ない。
自分の心次第だ、と。

むしろ心の中の戦争(youがreal enemyのmy wer)の方が危険性が高いのだ。

「来年もまた咲いてなんて」

そして最後に。

わざわざ戦争の曲の中にこんな癒しの(?)一文を入れた意味について考えよう。

だってこの歌詞、別になくても主張が完結している。無駄な一文なんてきっとないだろう。

重要な文かもしれないので、何のために入れたのか考えよう。


戦争があれば必然的に平和も存在することになる。

カヤがアニメ最新話でこんなセリフを言った。

私もお姉ちゃんみたいな人になりたいの

消えちゃった菜の花の復活を願う気持ちとカヤのこのセリフに、何か共通点を見出せないだろうか。

「自分(かのように愛したもの)が消え、自分(かのように愛したもの)が生まれたい」

「破壊と再生」=希望

戦争(君を不幸にするもの=痛み)は君の中にあるよ、

そして、

平和(君を幸せにするもの=希望)も君の中にあるよ、と。

そういう意味にとれないだろうか。


まさにそういった希望を少しだけ残しているのも、アニメの世界観を本当によく再現しているし

(たぶんの子はもはや「再現」だなんて捉えていなくて、無意識に諌山氏と同じ方向を向いているのだと思う。)

この曲の素晴らしいところだと思う。

まとめ

総合してこの歌詞を考えると

「結局全ては君自身の問題に集約される」

要は

幸せも不幸も、結局外じゃなくて君自身だぞ

そういうことを伝えたかったのでしょう。


いかがだったでしょうか。

短い文章でお伝えするのには相当難しく、難解な歌詞だったので、本当はまだまだお話ししたいことがたくさんあります。

(要点をギュッと凝縮するためにこれでも大幅カットしました…笑)

もし何か疑問点やほかの意見があればコメントいただけると幸いです!

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