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傍観者「私、何もしてないし?」

何もしていないことが
人を殺すこともある。

昔、いじめられかけていたとき。

いじめっ子に対しては
もちろん嫌だと思ったよ。

しかし同時に
「こんな、人かもわからんような
生き物が生きていて
私がしんでいいわけない」と

だいぶ遠回りだけれど
逆に命を救ってくれた(?)。

一番傷ついたのが
傍観者だった。

仲よさげに話した記憶を
「困ったら助けるから言ってね」
が泡になって消える無責任さも

絶望に振り切れないからむしろ
それが一番絶望的で
許せなかった。

人畜無害は、害なんだよ。

それからずっと
「保身の優しさ」を感じると
悔しさや悲しさ怒りで涙が流れぬよう
すっと感情を冷ましていく

そしてその人は私のなかで
最後の優しさにより透明人間となり
生きてもいないし
死んでもいない状態になる。

が。

何もしない、が
人を殺すこともある。

「どうしてあのとき見殺しにしたの?」

何もしていないからこそ
人を殺すこともある。

あなたがたは覚えていないかもしれない。
集団で選んだ、自分たちを守った
それを見る側は
いつも孤独にしかなり得ない。

憎しみが止むことはない。
けれど、文句を言っても仕方ない。

だからせめて、自分だけは。

間違えてもいいから、
私のせいでいいから、
傍観者にはなりたくないのです。

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