IQがどうとか感性がどうとか

私は昔、頭が高IQを神だと思ってた

自分もいつかMENSAに入って
心置きなく笑いたいと思ってた

「IQは、ウェクスラー式の知能検査で
心理士の技量によって結果が変わるし
そもそも知性がなんだかすら定義はないし
IQは頭の良さを測るためのテストではなく
生活の困難を取り除くためのもの」

人類史を学んで
新皮質(主にIQの好成績に寄与する脳の部分)の
過剰な発達は
むしろ人類の繁栄から遠ざかることを知った

哲学と心理学を学んで
そう知ってから

「あ、高IQだから頭が良いって言ってるのは
むしろ馬鹿だったんだ」
って思った

そこから
ちっぽけな人間の使っている言葉を
絶対だと信じている
その視野の狭さが、鈍いプライドが
天動説じみた自己中心的な考え方が
気持ち悪くなった

仲間になるため生きていたんだけど
希望を失った

「自分はIQが高いから」
「人と話が合わなくて」
じゃないんだと思うよ
普通に

そうやってなんでもかんでも
ショートカットや正論を欲してしまうので
生きる理由が死ぬことになった頃
ちょっとまずいなあと思い
反対側に目を向けた

「感性が…」

そういう言葉がありふれている

あるのはきっと感性ではなく
プログラムに操られてるだけなのに

HSPとか言う言葉、
エモとか言う言葉が流行るけど
「自分のこと」に敏感なだけ

他人のことに敏感であれば
自分の痛みを感じている暇ないと思う

「今ここの自分の痛み」にのみ一点集中させた
意識のどこを切り取れば
「繊細」という言葉になるんだろう

やっぱり仲間になれない

腹が立つ

……

似た者同士
仲間になればいいのに

一人ぼっちでいたいわけではないのに

なんでいつも、
挾間に取り残されて動けない

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