テンマクキネマが終わっちまったので愛を書く。
毎回の読者投票も虚しくテンマクキネマが終わってしまった。
むしろ終わりそうだったから投票していたとも言えるが。
割と早いうちから打ち切られそうな雰囲気は感じていた。
それでも好きな漫画だった。過去形が悲しい。
結論から言うと大人向け・玄人向けな漫画だった。
だから好きだったんだがこれが敗因でもある。
全くもって少年漫画じゃなかった。
第一に作品のキモである『渚』が一体なんなのか、読者への説明がほとんどない。
『渚』とはテンマクという幽霊が書いた脚本をもとに主人公たちが作る映画とそのタイトルである。
この脚本についての序盤の描写が「映画オタク幽霊がすごい脚本を書いた」「それを読んだものが即座に涙する」、この2点だけ。それ以外の情報はなし。
読者はここから『渚』がどのような作品か推察しなきゃいけないわけである。
ってことは読者のこれまでの感動体験によって『渚』の価値が左右する。左右してしまう。
主人公たちは『渚』の脚本の崇高さに突き動かされるように映画を制作しようとするのだが、その原動力たる「『渚』の価値」が読者の想像に完全に委ねられる。
かつてジャンプで連載していた『バクマン。』では主人公たちが制作する漫画はそれぞれ概要とキャラデザが描写され、なんとなくジャンプ漫画に置き換えたりして読者がなんとなくイメージできるくらいの情報が提供されていた。
かたや本作『渚』では読者の経験に頼りきりなので、「作品で、なんなら文字ベースで感涙したことがある」人じゃないと共感できなくて、しかもジャンプのスタンダードであるバトル・ギャグとはかけ離れた存在なのである。
つまり『渚』やそれに感動した主人公たちに共感できる要素が作品内で提供されないので、「ああ小6の時にアイアムサムで泣いたな」みたいな読者自身の実体験を想起して当てはめるというコストが要求される。
流し読みの人はおろか、ちゃんと読んでいる人さえふるいにかけてしまう。
この大多数が共感できない構造がキャラクターにもあてはまっている。
主人公は往年の作品まで網羅している映画オタクに、相棒のテンマクは幽霊で黒澤明を彷彿とさせる映画監督のもとで脚本を書いていた脚本家ときた。
これ、もちろん黒澤明を知っている人ならニヤリだが、しかし今の少年世代、なんなら平成生まれでもクロサワとその作品を知っている人がどれくらいいるだろうか、という話である。
ここでも読者を選別する構造が起きる。
あとテンマクに関してはキャラデザもさることながらなんにもわからないし、天才だから努力なしにすんごい良い脚本が書けた、とさえ捉えられて、これも『渚』という作品の読者から見た価値を落とす点でもある。
映画というコンテンツの意味合いが移ろいつつある現代で、知らない作品を、若い世代ではより珍しいであろう映画オタクが作る。
この玄人向けっぷりがジャンプ漫画ではないんよな。
漫画自体が落ち着いた作風で、作品もキャラクターも読者が全部推察した上で感情移入しなきゃいけない。なんなら脇役に関しては唐突に出てきてなにがなんやら。
ソーマを読んだときは「服がはだけるトンデモ要素いるのか?」と思っていたが、ジャンプで連載を続けるためには、どうやらあれくらいの目立つことがあったほうがいいのかもしれない。
でも、好きな漫画だった。
だからこそ好きだった、とも言える。
上記のふるいにかける構造は、逆に言えば想像し放題でもあって、ある意味読者が面白く読む作品なのだ。
相変わらず絵は綺麗だし、ヒロインもデザイン性格ともに好きだったし、なにより作者の愛が伝わってくるいい漫画だった。
少年ジャンプでやるにはちょっと大人すぎただけだった。
もっと読みたかった。
両先生の次回作に期待しています!!!
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