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クレッシェンド 音楽の架け橋

それはイスラエルとパレスチナの若者たちで構成された和平オーケストラ。長らく紛争が続く地域で、果たして音楽によって平和をもたらすことはできるのか。
※以下若干のネタバレあり

1月28日公開の『クレッシェンド 音楽の架け橋』。ヴァイオリニストの廣津留すみれさんのトークイベント付き試写会に参加してきた。私も大学のオーケストラでヴァイオリンを弾いていたことがあるけれど、プロのヴァイオリニスト視点で語られる言葉は一段と説得力があった。

劇中で登場するのはどれも有名な曲ばかり。けれど、この映画の鑑賞前と後では曲の印象がガラリと変わりそうだ。

例えばパッヘルベルのカノンを弾くシーン。対照的な演奏をするパレスチナ出身のレイラとイスラエル出身のロン。スポルクはロンに「レイラが感情を込めて弾かないのはなぜか?」と尋ねると、ロンは「弾き方を知らないからじゃないか」と言う。しかしスポルクがレイラに理由を尋ねると「音楽そのものが美しいから、感情を込める必要はない」と答える。

これは衝撃的なセリフだった。楽器を演奏するときに「これはどういう感情を表現しているか」「それを表現するためにはどのように演奏したら良いか」ということがしばしばオーケストラの指示等である。つまり、《演奏すること=感情を込めるもの》という固定観念が私の中にあった。それがあっさりレイラのセリフによって打ち破られた。美しい楽曲そのものを楽しむための演奏だって、素晴らしいものではないか。

そしてあるシーンで演奏されるラヴェルのボレロ。世界各地で数えきれないほど演奏されてきたであろうボレロだが、私はこの映画で聴くボレロ以上に美しいものはないと思う。どこかで耳にしたことがある慣れ親しんだフレーズなのに、涙を堪えきれなかった。

上映後の廣津留さんのトークでも印象的だったお話をひとつ。「音楽は世界の共通言語ではない。音楽をもってしても通じ合えないものがある」といった旨のことをお話しされていた。

大学時代にイスラエルとパレスチナへ演奏旅行へ訪れたことがあるという廣津留さん。イスラエルとパレスチナのそれぞれの学生と一緒に演奏するはずが、イスラエルの後にパレスチナを訪れた際に「イスラエルの学生と演奏してきた人たちとは一緒に演奏できない」と断られたそうだ。一緒に演奏するたったそれだけのことでさえ難しい。これほどまでにこの地域の問題は深刻で根深い。

さて、劇中では和平オーケストラを立ち上げることを提案するのはドイツ人の団体である。彼らは音楽の力を信じすぎている。世界的に注目されそうなことをしてお金を稼ぎ、あわよくば仲直りを"させてあげよう"とでも言いたげな態度である。オーケストラから手を引いた彼らが次はスーダンへ行くというシーンは何とも皮肉であった。

当事者同士の様々な葛藤や壁は、第三者の視点からは見えているようで到底すべては見えない。外野がどうこうできるものではない。世界共通の言語や言葉で表さなくても通じ合えるものというのは、所詮机上の空論に過ぎないのではないかと、改めて考えさせられる映画だった。

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