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オードリー・ヘップバーン

5月6日に公開した『オードリー・ヘプバーン』。試写会で一足先に鑑賞し、帝国ホテルプラザで開催中の写真展にも立ち寄った。試写会の前には『オードリー・ヘップバーンの言葉』という本まで読んだ。

そろそろ没後30年にもなろうとしているが、その人気は衰えない。私のような生前のオードリーを知らない者でさえも存在は知っているし、『ローマの休日』や『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』は観たことがある。色褪せない美しさと魅力は、未来永劫輝き続けるだろう。

この映画はドキュメンタリー映画である。昨今多く見られる「有名人の半生を題材にした映画」ではなく、オードリーを知る人物と生前のオードリーの肉声により構成された真のドキュメンタリー映画だ。もっとも、オードリーの人生を題材にした映画なんてつくろうものなら、オードリー役の荷が重すぎる。アイコン並みに浸透した姿を、他の役者にするなんて到底無理な話なので、純粋なドキュメンタリーとしてまとめたのは大正解だと思う。

作品を鑑賞して思ったことはたくさんある。オードリーという人間の魅力は、容姿に限らずその生き様にもある。誰もが真っ先に思い浮かべるであろう初主演作『ローマの休日』のアンの姿もさることながら、あの魅力はオードリーのもつ性格からも引き立てられているように思う。

随所にオードリーの出演作が流れる。断片的とはいえ、役者としてのオードリーがスクリーンによみがえる。パッとオードリーが映ったとき、思わず目が留まる。たとえモノクロの映像であっても、いやモノクロだからこそとも言うべきか、その姿は人々の目を惹きつけてやまない。

そしてこの映画を観て確信したことは、オードリー・ヘップバーンという存在自体が唯一無二であるということ。第二次世界大戦を経験、大好きなバレエでの挫折、2度の結婚と離婚など、大人気女優の光の裏で影も色濃い。ただ成功しか知らない側ではなく、たくさんの苦労を知っている。だからこそ、晩年にかけてのUNICEFの活動が説得力をもつ。自分が戦時下で飢えていたときに救ってくれたUNICEFに関わり、同じように飢える子どものいないようにと誰よりも願っていたことだろう。心なしか、今世界で叫ばれているSDGsが安っぽくて軽く感じてしまう。もし現代にオードリーが生きていたら、この活動をどう思うだろう。

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試写会ではオードリーと親交のあったというデザイナーの加藤タキさんのトークショーが、あった。タキさん自身も上品で素敵な人で、かのトークショーの一時だけで私は将来こんな風になりたいと思う人の1人となった。映画で語られるオードリーもタキさんの語るオードリーも、驚くほど素朴で普通で、芯の強さはあるけれど他人を拒まないしなやかな印象を受けた。

トークショー終盤、タキさんが涙声になりながら語ったのは、昨今のウクライナ情勢。オードリーが生きていたら何を思っただろう、きっと誰よりも心を痛めただろうとタキさんは言った。

もちろんウクライナ以外にも戦禍に苦しむ地域はある。オードリーが願ってやまない"子どもたちが飢えることのない世界"というのは未だ実現には程遠い。オードリーの生きた証、残した言葉、彼女の夢を、今を生きる私たちも忘れずにいたい。


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