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桃を買った日

家から最寄駅へ向かう途中に、昔からあるのだろうなと思わせる小さな八百屋がある。おじいさんが一人でやっていて、たまに近所の人とおしゃべりをしている。下町の情緒漂うお店である。

駅の近くには大きな商業施設が建ち、その中にスーパーマーケットもある。だから、この小さな八百屋に並ぶ野菜や果物を見ては、時々心配になるのである。心配しながらも、どうせならポイントがつく方がいいと、私も商業施設内のスーパーを利用してしまっていた。

ある日、出かける途中で通りかかると、桃が並んでいた。一つ百七十円。破格である。だがこれから出かけるため、泣く泣く諦めた。

駅で電車を待ちながら、ふと足元に目をやった。実は八百屋の前を通りかかる前に「やっぱりあっちのスカートのがいいな」と思ってわざわざ帰宅して替えてきたのだが、「このスカートにするならあの靴下でもよかったな……」という考えが浮かんだのである。だが、たかが靴下のためにまた引き返すのはさすがに面倒な気がした。電車もちょうど到着して揺られること一駅。やっぱり戻ろうと、反対側のホームへ走った。

戻る電車に乗ってから、どうせ戻るならさっきの桃を買おうと思い立った。駅を出て、桃を買い、家に着いてキッチンへ置き、靴下を替えてまた家を出る。完璧だ。

改札を出て、まっすぐ八百屋に向かい、桃を二つ手にとった。「すみません、これください」と声をかけて財布を出そうとしたとき、店主のおじいさんから思わぬ返答があった。

「五百円でいいから、三個持っていってよ」

一つ百七十円、二つで三百四十円。ならば三つで……?暗算は苦手なのですぐに答えは出なかったが、たぶん五百円ならお得なのだと直感で理解した。ありがたくその厚意に甘えてもう一つ選んだ。(ちなみに、あとで電卓でちゃんと計算したところ三つで五百十円であった)

桃三つ、五百十円。大手スーパーなら二つすら替えないだろう。なんだか得をしたような気持ちでキッチンに置き、靴下を履き替えてまた駅へと向かった。

偶然か必然かはわからないが、「いいことがあるからなんとしてもあの桃は買え」と見えない力に引き寄せられたような不思議な気持ちになった。別に桃が大好物というわけでもないけれど、無性に桃が食べたくなった。足元がしっくり来なくてもう一度家に引き返したくなった。たまたま時間に余裕があったからできたことだが、暑苦しい気温と裏腹に清々しい気持ちになった。

十円負けてくれた分、また寄って野菜でも買おうと思う。もうすぐこの街を去るけれど、また一ついい思い出ができた。

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