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マザーテレサに学ぶ・人生において大切にすべきホントの豊かさ

人ってお金や学歴、または輝くような社歴があったとしても、それさえあれば幸せと感じるのでしょうか?

人生において、真に豊かに笑顔で生きるということは、いったいどういうことなのでしょう。

コロナ自粛も徐々に解禁になってきてるようです。

この後 果たして元の生活が戻ってくるのでしょうか?

アフターコロナ対策をきっかけに、大切にすべきことを見失うことなく、本当の意味で心豊かに生きるためには?ということを考えてみたいと思います。

一見無駄な時間にこそ価値がある

愛を込めた時間は、無駄にはならない。

マザーテレサは、現代を生きる人たちに向けて、たくさんの励ましと示唆を与え続けてきました。

遺されたメッセージの1つに「愛を込めた時間は、無駄にはならない。」という言葉があります。

ある方のこんなエピソードがあります。

自分には物事の飲み込みが遅い部分があるものの、いったん覚えたら仕事は早いという一面がある。

わかるわかる!と思われる方もいらっしゃるのでは?

ある時、その方のお母様がこのようにおっしゃいました。

「速いばかりが能ではないよ。あなたの仕事は速いけど、心が足らないよ。」

そのお母様は、決して手の早いタイプではなかったものの、縫ってくれたものは決してほつれることはなく、結んだ風呂敷包みは不思議にも途中で解けるようなことがなかったのだといいます。

そこには、年季が入ったコツと同時に、心や愛情が込められていたのだと、今になって思いだすのだとか。

お金にならない時期、得にならない時間。

ある意味では、人生において無駄のように思える時間の中にしか、愛情は育たないのかもしれません。スピードや簡便さに価値を置かれる現代において、待つことの大切さや無駄な時間の中に価値を見出す尊さ。

たとえ、思ったような結果が出なかったとしても、それは無駄なことではないということが少しわかる気がします。

★砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているから。

人は表面に現れない「井戸」を、心の奥深くに持っていると美しくなるのだとか。

それは、他人に言えない秘密を持って生きるということではなく、自分自身の存在の奥深いところの一つに人生の核と呼べるようなものを持ち、年とともに大切に育てていくということ。

そこには、どんなに信頼した人から裏切られて苦しい状況であったとしても、そこに戻れば自分を取り戻し、立て直すことができる場所。

自らの核を大切に育て、丁寧な生き方をしていきたいものです。

本当の豊かさを見失わない人生を

マザー・テレサ初来日の際、マザーのこんな言葉残っています。

「私のカルチャーショックといいますか、日本の第一印象ですが、とても綺麗ですね」。

「きれい」という部分をprettyという言葉で表現したマザーは、ずいぶん険しい顔をしていたのだといいます。

どんなにきれいな家に住み、きれいなものを持っていても、愛がなければ貧しいのだとマザーは続けたのだとか。

きれいな家に住んでいても、夫婦や親子でいたわり合いを持って暮らし、微笑みかける時間がそこになければ、インドのカルカッタで泥の小屋に住んでいる家族たちよりも貧しいと。

それは、私たちの生き方にも、大いに通じるところでしょう。

コロナ対策を考えるこの機会に、形や見た目ではない、本当の豊かさを見失わない人生とはなにかを考え、歩んでいきたいものですね☺️

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