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子どもと話す。手数を減らして質を上げるのがよいね。

私たち夫婦の好みだからというのが大きな理由なのだけれど、我が家ではあまり「子どもだから」という話し方を選んでいません。
子どもだから、幼児言葉を使う。
子どもだから、子どもらしい話題を選ぶ。
子どもだから、説明は入り口くらいで。
子どもだから、親が正しい考え方を教えてあげる。
全部うちではやりません。

出会ってからずっと子ども扱いしないようにはしているけれど、
長男が小学校に上がる前くらいからかな、俄然会話が楽しくなってきました。子どもと語り合うのは掛け値なしに楽しいのです。

楽しく会話するための礼儀って、大人でもありますよね。
子どもも全く同じで、例えば「相手の言葉を最後まで聞く」とか、「相手の意見を否定しない」とか、「自分の考えを押し付けない」とか。
子どもは自分の言葉を聞いてもらってないとか、否定されてるとかいうことにとても敏感で、親の喜ぶことを言いたがります。あ、他の子どものことはわからないのですけれど。
親の喜ぶ返事がどれなのかをわからなくすることは、なかなかどうしてかなりの技術が必要で、偏りのないフラットな言い方で、かつ表情で無意識に子どもをコントロールしたりしないようにしないといけません。
子どもとの会話は大人とのそれより難易度が高いのです。

会話の難易度を上げている大きな要因の一つが、「子どもはすぐ会話に飽きる」ってことです。会話というか「人の話を長く聞いていられない」ですね。
だいぶ前にどこかで読んでいたく納得して以来ずっと気をつけているのが、「子どもを叱る時、1分以内で話す」ということなのですが、これは本当にそうで、さて子どもにお説教してやろうという時に子どもが聞いていられる時間って1分もしくはそれよりだいぶ短いのです。渾々とお説教しても子どもって全く聞いていない。後から「どうして怒られたんだっけ?」と聞いても「わかんない」で終了です。
でも、最初の数十秒はかろうじて耳に残っていることが多い気がします。

大人との会話ではそこまで気にならないけど、子どもと楽しく会話するために大事だなと思うのは「手数を減らす」です。
大人と話すときは伝わってるかどうかを確かめつつ、補足したり言い換えたりすることができるのですが、子ども相手にそれをしていると言いたかったことが全く伝わっていないってことがよくあります。
ラリーの回数も、一つ一つのセンテンスの長さも、ぐっと短く的確にする必要があって、それは言葉選びと知識の正確さを問われるゲームみたいで、私はとてもワクワクします。
子どもと話すことで、意外にも大人である私の方の話術が磨かれている(ような気がする)のです。

昔から私の中で尊敬に値するのは「難しいことを難しい言葉で語るのではなくて、難しいことを誰にでもわかるような言葉で語れる人」なのですが、子どもと話せば話すほどまさにその訓練をさせてもらっている感じ。
単純に言葉の知識が少ない子ども相手に、難しい話題をいかに易しく話して理解に導くか。その上で、本人がさも自分でその答えにたどり着いたような感覚を持ったと思えた時は心の中でガッツポーズ決めます。

我が家で子どもたちに一番大事にしてもらいたいのは、「自分で決める」こと。
小さな選択から大きな決断まで、いつでも自分で決めてきたという感覚は必ず心の柱になるから。それには、決断力以上に判断材料になる知識と自ら抱いてきた感覚や感情の自覚が必要です。
出来上がった地図ではなく、フラットで深い考察と知識を自分で選ぶための「地図の描き方」が子どもたちの糧になると信じて、今日も私は子どもとの雑談に励んでいます。

なんて。かっこよさげに書いたけれど、とにかく子どもと語るのは楽しいよねって話です。


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