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もうすぐ100日、のここで。

いったい何を守っているのか分からなくなるような、頑なで視界のよくない日々が続く。確実に浮き足立っている。
私自身のことだけで言えば、年中自粛中みたいな生活なのだけれど、この半年はだいたい小さな人たちが24時間傍にいる暮らし。
薄々知ってはいたけれど、私は気配の圧があるのが少し苦手なようです。
苦手、はちょっと違うかな。
前に、人前で鏡が見れないということを書いたけど、それと同じで、傍に人がいると自分の内側を覗けない。
それがまあ、長いこと書かなかった言い訳です。

さて、日々。
時間にすると一日1時間とか2時間くらいのちょっとした時間だけれど、毎日粘土を触っています。
長いこと心に引っ掛かっていた糸の絡まりを解すような、自分の指先だけを見つめる日々。解した先にそれがどんな形になるのかは置いておくとして。

100日続けようと始めて、今日が97日目。
97日前の私の期待ほどではないけれど、ほんのわずか、数ミリだけど、立っている場所が変わった気がしています。
同時に、簡単には前に進ませてもらえない自分の中のいくつものストッパーに気づいたり。勢いだけで走れないのは私の性質。

5月18日に始めた、小さな挑戦。
100日続けようと思ったのはなんでだったかな。
20年、どうしても手をつけられなかったことを始めるのに、そろりそろりと近づく口実が欲しかったのかも。
毎日粘土を触って作り続けることで、わかったことがたくさんあるし、わからなくなったこともある。
この時期に毎日やろうと決めていることがあるのはすごく救われた気もします。
100日やってみて(あと3日あるけど)よかった。
101日からもきっとその日々に私はいられるのだろうな。

2度目の休校が明けて、今日から学校再開。
夫婦ふたりの家は静かで穏やかです。
離れるとやっぱり恋しい我が子たち。
暗澹とした世の中の空気と切り離して、家の中がやさしくあるように。私の日々も続いていくように。


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