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猫のしじみの話をします。

うちの猫、しじみ。17年一緒に暮らしています。

17年前に住んでいたオンボロ一軒家の近所で生まれた野良猫で、兄弟たちは警戒して近づいてこないのに、しじみだけは手のひらに乗るくらいに小さな時から毎日開け放した掃き出し窓の前で「入れてくれ」とないて、家の中で我が物顔して私たちの後をよちよちと付いて回ったり傍に寄り添ってじっとしていたり。特別な何かで私たちは初めから通じていました。

毛の根本が真っ白で外側は黒い小さな塊が床でちんまりと丸まっている様子を見て「しじみ」という名前をつけました。勝手に。
ちなみに。しじみが来る少し前に白血病で亡くなってしまった子は「おこめ」、しじみの数年後にやってきて11歳まで生きたのは「うずら」。保護したけど体力が回復せず飼ってやれなかった子は「まめ(大福)」。私の名付け傾向の偏り…
子どもが生まれてから手に入れた和田誠さんの絵本「ねこのシジミ」でその名前の由来を知って以来、平野レミさん(のお友達)にかなりの親近感を抱くようになりました。余談です。

しじみが毎日家に来るようになってほどなく、前から決まっていた引越しの日がやってきた時、私とのりさんはお互いにそのことを話していたわけではないけれど、しじみを引越しの車に乗せて新しい家(倉庫だけど)に連れて行きました。ごくごく当たり前のことのように。
なし崩し的にうちの子になったしじみ。初めから、うちにいるのが当たり前のしじみ。

私たちはいわゆる愛猫家という感じではないのだけれど、しじみは特別に愛くるしい。猫だからじゃなくて家族だから。

しじみは赤ちゃんの頃からとてもおとなしい猫で、とても穏やか。
ソファに座っていれば傍にぴたりと寄り添ってくる。その体重の優しさ。ゴロゴロと喉を鳴らす振動。
夜は私の肩口にやってきてニャアと鳴く。布団を開けて中に入れてあげると、脇の下で丸くなり、腕に顎を乗せて大きなゴロゴロを響かせて眠る。
出会い頭におでこをぐいぐいと押し付けてきて「撫でろ」という。撫でるとすぐにゴロゴロいう。
お客さんがくるとその膝に陣取りゴロゴロ甘える。
激しくじゃれたり怒ったりしないしじみの感情表現はいつも静かに響くゴロゴロゴロ。愛おしい。

しじみは子どもたちにとても優しい。
子どもたちにとってもしじみは家族で、我が家は6人家族なのだという。
お姉ちゃんだけどおばあちゃん、という立ち位置らしい。
3年前に亡くなった次女猫うずらは7人目の家族ではあるけれど、そのいかにも猫らしい自由気ままな性格からか、子どもたちにとっても「猫」という認識のほうがが強いみたい。
だから、やっぱりしじみは家族。
初めて人間の赤ちゃん(長男)がやってきて以来、お腹に「ハゲ」がよくできるようになったしじみ。もしかして赤ちゃんのいる環境がストレスなのかなと思っていたら、なんとうずらが居なくなって以来すっかり治ってしまった。
ストレスの原因が赤ちゃんではなく同居のうずらだったことに、申し訳ないのと同時に笑ってしまった。今は幸せな余生というわけです。

元々走り回ったり鳴き声をあげたりはしなかったけれど、歳をとるにつれてさらに静かになって、ひとところでじっとしてる時間が長くなりました。一日のほとんどをクローゼットの中で過ごしたりして。でも時々そっとやって来てはおでこをぐいぐい。ゴロゴロゴロ。

どうしてこんなに長々としじみを語っているのかというと、
数日前からなんだか静かというよりぐったりという感じのしじみを昨日病院で見てもらったら、胸のどこかに腫瘍か何かができていて、そこからじわりじわりと染み出すような出血とそれに伴って胸水が溜まってきていて、ひどい貧血で、手術で治るということでもない、かなり難しい状態ですと言われたのです。私が考えないようにしていても、しじみは確実に歳をとっていました。

どんなに歳をとっても、出会った時と変わらない、くりっと優しくて澄んだ瞳でこちらをじっと見つめるしじみを、私はそんなにおばあちゃんだなんて思えなくて、この先まだ何年も何年も一緒にいられるつもりでいました。
「20年も25年も、30年だって生きる猫もいる」という話が、どうして私たちのしじみにも当てはまると思っていられたのか。

突然降ってきた、しじみとの時間が終わる時がくるかもしれないという事実に動揺して、どうにか落ち着こうと、しじみをここに留めようと、こうして書いています。
少しは食べられそうなトロトロのごはんやチュールを山ほど買い込んできたのに舐めてもくれないし、水すらほどんど飲んでくれない、よろよろと弱々しいしじみが、この後劇的な回復を見せて、どうかどうかもう少しだけ私たちと一緒にいてくれますように。
これは私の祈りです。恋文です。そして贖罪です。

野良猫だったとはいえ、17年前のあの時ひょいっと車に乗せてなし崩し的にうちに連れて来てしまったことが、しじみにとって幸せだっだのか、時々ふと思います。私たちが長いことひどく貧乏したので、飼い猫として満たされた暮らしではなかったかも。なんて。

ああ。
まだ、しじみに「うちの子になる?」ってちゃんと聞いていないのです。



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