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休校中の子の隣で、学校のことを考えてみる。

小学校から高校までの12年間、私はついぞ学校という場所を好きになることがありませんでした。
跳び箱に正面衝突し、顔面でボールを受けてばかりの体育の時間はもちろん、グループで協力しないといけない社会科の壁新聞作りではもやもやしてばかりだったし、顕微鏡越しの細胞やプランクトンをスケッチしろと言われる理科の授業は目的がわからなかった。給食は食べる前からどうやって残そうかと思案するくらい口に合わなかったし、女の子たちのねっとりしたやりとりや恋愛の噂話にも興味がわかなかった。
家を一歩出た瞬間から「早く帰りたい」と思う毎日でした。

とはいえ、表面上の学校生活は上手くいってるように見せられていたはずです。成績は割と良かったし、いじめることもいじめられることもなく、誰かと仲違いしたり険悪になったことも特になかったから。仮病で休む日も、用意周到に他の日に影響が出ない授業の日を選んだりして。それなりに楽しいと思っていた気もするんです。思い出せないけれど。
ただ、いつでも心を飛ばして遠くをぼんやり見ていました。

学校は好きになれなかったけれど、大人になって度々思い返してみても親に対して「学校に行かせないでほしかった」というふうには思っていなくて。それは矛盾というか不思議だなあと思うんです。
勉強は好きだったので、学校に行かなくてもできたと思うし、むしろその方が効率よかったのかもしれない(何の為の効率かわからないけど)。でも、そういう選択肢があったとして もう一度選ぶとしても、学校には行ったと思います。

たぶん私にはあの「時間」が必要だった。
誰にも踏み込まれまいと閉ざした心の扉に開けた小さな覗き穴の中から、小さな「社会」を見ていた時間。
何にも起こらないつまらない日も、校内で大事件が起きた日も、友達と将来のことを話したり、「いない」じゃ格好つかないからどうにか設定した「好きな人」に何故だか本当にドキドキしてみたり、いつも学校にはいろんな人がいて「社会」がそこにあった。
あれを見ずして大人になっていたら、今の私はどうなっていただろう。
それを知ることはできないし、私は学校がずっと嫌だったから今の私になったのであって、学校に行った経験があるから今も少しだけ強く踏ん張れているのだと思うのです。

私の母は、私が様々なテクニックを駆使し体温計(水銀式)を37度台後半に合わせて「今日休みたい」と言うと、いつもすぐに学校に電話をかけてくれました。
学校に行きなさい、とは一度も言わず、私が勉強そっちのけで夢中になる(大概何かを作る)趣味を必ず褒めてくれて、「そんなことより勉強しなさい」なんて言われた記憶もありません。

子どもにとって実は学校なんてどこでもいいのかもしれないです。
うちの息子は自分で選んだ私立の小学校に行っていますが、公立に行ったことがないので今の息子と公立に行ったと仮定した息子を比べることはできません。
ただ、そこにある小学生の社会は私が幼い頃に見ていたものとそんなに変わってはいないような気がします。仲良しの親友と笑いあったり、ちょっとしたきっかけで距離を感じたり、どうしても好きになれない子やライバルのことが気になってしょうがなかったり。たくさん社会を見て感じていって欲しいです。
一つだけ、私の欲が入ってるとすれば「英語を理解して日本語で思考する」人がいいなと思うので、それが叶いそうな学校を選んでくれてよかったなと思っています。や、がっつり親のエゴです。
(現在休校中の息子。学校や先生のの対応はとても誠実で安心できます。学校はどこでもいいけれど、いつでも大事なのはどこを見るかですね。)

子どもに関する選択をしなければならない時、判断の基準にしているものは「私が親にどうしてほしかったか」です。
特別な学校に入れて英才教育をしてもらいたかったとは思わないし、かと言って「勉強なんてしなくてもいいよ」とわざわざ先回りして言われたくもなかった。
学校から帰ったら話を聞いてくれて、私が興味を持ったものを一緒に面白がってくれて、将来が楽しみだねって笑ってくれるだけでよかった。それと、なるべくたくさんのモノや世界や選択肢を見せてくれること。これが好きだろう、これは必要ないだろう、と勝手に決めつけないこと。
私が普通に自分ひとりで頑張ったような顔をして学校に行けたのは母が何も決めつけず受け止めていてくれたからじゃないかな、と直接本人に聞けないから想像しています。

お礼を言うのはきっとだいぶ先になるけれど、
いま私は母にとても感謝しています。



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