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表現活動は広くていい、推敲活動もあり。

お久しぶりのnoteです。
私はいろいろを同時進行するってことがどうも上手くない。
読んでくださってありがとうございます。

陶作家になると宣言してみたものの、はて。
私は宣言したきりで作家にはなっていないと思っていました。
だってまだ制作物をどこでも誰にも売っていないから。
ちまちま作って焼いては自分で眺めて身につけて、いいなーとか、わーいとか喜んでる。
それがとても居心地悪かった。私まだ始めてもいないのにな、って。

この数日、私は私の時間軸で生きていない!こんなの私の人生じゃない!とふがふが悲しくなって(つまり子どもたちに振り回されているように感じて)、井戸の底に落ちていたのですけれど、底に落ちると光を見上げるタイミングが来るものです。
突如として気がついたこと。
作家って、独りよがりだろうが思い込みだろうが、私の「在り方」でいいのだと。
生活するためのお金を稼ぐことを目的に制作活動しなくてもよくなったから再び作り始めたのに、値段をつけてどこかで販売してそして誰かに買ってもらわないと何も始まらない気になってた。そうじゃなかった。
霧が晴れました。

Atelier Noocrie (アトリエ・ヌークリー)という活動名です。
これは私たち夫婦の活動名。
のりさん(夫)の方はまだしばらく事業活動が続く人生フェーズっぽいので、制作に合流するのは少し先になりそうですが。
そのヌークリーでインスタグラムのアカウントを作りました。
私の作るものの写真に短めの言葉を添えています。

この「言葉を添える」っていうのが、続けるほどに楽しい作業でして。
具体的なことだったり、長々と心情を吐露するような文章でなくても、誰かの心に届いて、ほんのちょっと共感してもらえたり、ああ少し元気出たなと思ってもらえたりするようにと願う気持ちは本当ですが、深いこと言ってるように見えて、ただ日記を推敲したようなもの、が実です。
日々の徒然ごとを元に、削りに削って、撫でたり磨いたりする時間が毎日の楽しみ。元の出来事を知っているのは私だけで、それをぎゅっと絞った幾雫かのそのまた上澄みを掬いとったみたいな言葉。

やや唐突ですが、小学校4年生の時に読書感想文で賞を獲った時の話をします。伝わりづらいですが、私の人生史上だいぶ大きな衝撃の体験です。
課題の書籍も作文の内容も全く思い出せませんが、選考を何段階も通って結構いいところまでいったような記憶があります。(本当に覚えていないのであやふや)
作文が、クラス代表から学年代表、学校代表と進んでいく度に、担任の先生と毎回文章の推敲を繰り返しました。こことここの段落を入れ替えようとか、10文字削ろうとか、4行足そうとか。それを繰り返すうちに文章がどんどん変わっていって、全く違う佇まいでそこにあることにものすごく興奮したのを覚えています。
私は推敲するという作業がとても好きです。
もしかしたら、最初の言葉を紡ぎ出すこと以上に。
思いのままに書き綴って読み返すこともなく高エネルギーで伝えられる人に憧れたりもするけれど、私は過不足なくまっすぐ伝えるためにじっくり推敲する書き方がよいみたいです。

言葉を紡ぐ、推敲して、添える。
これもきっと立派なヌークリー活動です。
誰かに届いているのかいないのか、今のところほとんどなんの手応えもありませんが、私が楽しくて、いちばん近くにいる人がいいねと言ってくれるので、私は今日も幸せです。


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