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安心が欲しかったんだよねという話。

ワクチンの集団接種(1回目)を受けてきました。
私が痛みに鈍感なせいか、あ、という間に終了。
腕は痛いけれど、そのほかに絞り出すような不調はなし。ひとり漏らさず寝込むのかと思ったら、注射してくれた看護師さんが「1回目で熱が出るのは2%くらいですからねー」と。肩透かし。
しかし、問診のお医者さんに「37.0度ですね。ちょっと高いですかね」と聞かれ「先生、更年期だと平熱が高くなったりしますか(本当に気になっている)」と関係ない相談を持ちかけ、「すみません。ぼく小児科医なんです。」と困らせるほどに、私は接種会場でいちばんの場違いな高揚感に包まれていたはず。

ワクチンのことを書くのはどうだろう、と思ったけれども、ただの記録として、私が久しぶりに感じた心のふわりを残したいのです。
ワクチンに関して大した思想も主張も出てきません。
(そのことに関して手短に言うと、私は医学と化学と志を信じています。)

さて。
集団接種の予約は10時半でした。
10日前、予約を取ったときに接種会場名をGoogleさんに何度か尋ねてみましたが、どうもバシッと正解とは思えない、微妙に違う名称の場所がいくつも出てきたような気がしたけれど、この10日間で私の脳は「あのビルなんじゃないかな」と家から徒歩15分の場所に当たりをつけていました。なぜか。
きっと早めがいいだろうと予約時間の25分前に当たりをつけたビルに辿り着いたはいいものの、どこにも接種会場とは書いていないし、何よりものすごくシーンとしてる。それらしき人が誰もいない。
「あ、間違えたな」
気づいた時には20分前、焦ってまたGoogleさんに聞いてみるも、今度は焦りのせいか全然違う場所ばかり表示される。ああ「接種時間に遅れないように」って書いてあるのに。

こりゃタクシーに乗るしかない(徒歩で行ける会場にしたはずなのにな)と、ふと郵便局の前に止まってる空車のタクシーを発見。あ、でも小銭がない。郵便局に出たり入ったりしてATMの前を怪しくうろついた挙句、お札を崩す方法も頭からスコンと抜けてしまい、ふらふらとタクシーのそばに行くも誰も乗ってない。たぶん絶望が全身から立ちのぼっていたはず。

私に気づいた運転手さんが駆けてきて、どうぞどうぞと手招きしてくれたので、「1万円札しかないんですけど、ワクチンの会場に行きたいんです」と初めてのおつかいみたいな意味不明なことを言う私を「大丈夫大丈夫」と乗せてくれて、無線で私の口からアワアワと出てくる接種会場名を確認してくれるも、なんかどこも違う。やっと市のページに住所を見つけて伝えると、私が途方に暮れた地点からもう3分も歩けば行ける場所でした。
優しい運転手さんが責めたり笑ったりせず、送り届けてれる間、当然運転手さんとワクチンの話に。
きっと私の親くらいの歳の運転手さんは「もう2回打ったのでね、安心ですよ」とそれは安心した顔で話してくれて、その安心感たるや長いこと引きこもって暮らしている私のそれとは到底比べ物にならないだろうなと想像して、胸が熱くなった。(接種に間に合うという安堵がそうさせた気もするけれど)

会場にはでかでかと「ワクチン接種会場」と看板が掲げてあり、大袈裟に何度もお礼を言ってタクシーを降りた私は、予約時間の7分前に無事会場に滑り込み、涼しい顔で待合室に着席。
辿り着くまでほんの5分くらいの会話が私の心をものすごく久しぶりに「ふわり」と軽くしてくれた。
初乗り運賃の560円をこんなに幸せな気持ちで支払ったのは初めてじゃないかしらと思えるほどに。

家族以外の人とやさしい気持ちで安心して言葉を交わすということ。笑顔を交わすということ。私とあなたの間にあるテーブルの上で安心してお互いの手のひらの言葉を見せ合うこと。
ずっと足りないと思っていたものはそれかもしれない。

ワクチンに対する思いは、その人の知識とか情報とか思想によって違っていい。みんなそれぞれどの情報を信じるか、誰の言葉を信じたいかで心の居場所を決めて生きているのだし。

ただ私は昨日とても晴れ晴れとした気持ちになったし、世界中の人たちとは言わずとも見知らぬ誰か為の安心を私は身につけようとしているのだなあと心強く嬉しくなった。
タクシーのおじさんと話していなければ、そんなふうには思わなかったかもしれない。
予想もしない人との出会いとか言葉のやりとりがきっかけで何かがほんの少し変わるこの感じ。味わったのはずいぶんと久しぶりなのです。


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