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Ado様の「ギラギラ」とThe Cureの比較に見る、現代の狂気についての考察。

こんばんは。よしのチョコ太郎です。今回は、Ado様の「ギラギラ」【Ado】ギラギラ (youtube.com)を、前回書いた、キュアーロックバンド、ザ・キュアーについて|よしのチョコたろう (note.com)との比較において書いてみたいと思います。

「ギラギラ」は、狂気を音像化した曲か、と存じますが、そこに、キュアーとの共通点があります。ロッキング・オンの山崎洋一郎氏によれば、「自分が本当は何者なのかがわからない、この世界がいったい何なのかがわからない、という普遍的な不安と混乱。深い森を歩いている時に陥るような感覚。それをそのまま音像化したのがキュアーの音楽だ」そうです。

更に、「抱えた病と折り合いをつけながら仲良く暮らしていくためのポップソング。日常の治療(キュアー)薬。本当に狂ってしまわないために。」とゆうのがキュアーの音楽らしいです。
では、これを念頭に置いた上で、Ado様の「ギラギラ」の歌詞を見てゆきましょう。

「Ugly 正直言って私の顔は

そう神様が左手で書いたみたい

必然この世にあるラブソングはどれ一つ

絶対私向けなんかじゃないでしょう」

書く必要のないことかもしれませんが、キュアーにはラブソングが多いです。

もう一つ、「ギラギラ」の歌詞をとりあげますね。

「Unknown お釈迦様も存ぜぬうちに

もう健やかに狂っていたみたい

それは世界の方かそれとも私の方ですか?

共生は端からムリでしょう」

つまり、キュアーの、「抱えた病と仲良く暮らしてゆく」ことへの拒絶ですね。

次回では、「ギラギラ」のUglyな女性には、割り当てられない、一部のヒトに独占された「自由」恋愛及び資本主義、そこに批判をむけてゆきたい、と思います。

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