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非科学経済学は、必要ないのか?

前回の投稿で、「君たちはどう生きるか」(映画ではなく、原作ではない漫画の方)をタグ付けしたためか、多くの人に読んでいただくことができた。だからという訳ではないが、宮崎駿監督の映画の方も観てきた。デートで観に行った経緯もあり、相手も観たいであろう作品を選んだので、繰り返すが、漫画版「君たちはどう生きるか」についての投稿を多くの人に読んでいただいたからではない。映画は暗いのだが、宮崎駿監督の表現に対する誠実さのような気がして、信用できるな、と思った。帰ってから、宮崎駿監督の、山口泉氏による、「もののけ姫」についてのインタビューを読み返したりもした。

さて、前々回の記事で、佐和隆光の「佐和教授はじめての経済講義」から、理論経済学(マクロ経済学+ミクロ経済学)は科学である、マルクス経済学は非科学である、という話をテキストに依存する形で書いたが、それは、マルクスを批判する立場をとっておきたかったからである。では、マルクスは必要ないのか、と言えば答えは否である。無論、哲学などにおける議論として、マルクスを擁護することもできるであろうが、ここでは「佐和教授~」から長めの引用をしたいと思う。
「学術が制度化されることを、私は「科学」たり得るための必要条件だと考えています。しかし、開き直ってみたくもなります。いったい、経済学が「科学」であることは必要なのでしょうか。というよりは、経済学が「科学」の体裁を整えることによって、現実経済の仕組みを解明するという経済学の目標の達成度は高まるのでしょうか。私は、必ずしもそうとは思いません。歴史学、社会学、政治学などから経済学を隔離してしまうことは、経済学を無味乾燥にするばかりか、現実と理論の落差を、ますます大きくしかねません。「科学」へのこだわりをかなぐり捨てて、「非科学」として葬り去られた歴史主義的経済学や政治経済学を復権させることもまた、経済現象の解明のために有意義な営みだと私は確信しています。」
なかなかに、中指おっ立てるような文章だとは思うが、書くということは中指おっ立てるような行為だとも思うのですよ。歴代の総理大臣の中でも最低の部類に入る卑しい人間に、卑しめられ、踏みにじられて何の痛痒も感じないのか、とかね。以前書いた、哲学科の友人は花巻にいるのだが、今この
タイミングで会いにゆき、こうした話をしたいと思う。

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