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「かっこいい」をする

ちょっとした行動を起こそうと思ったとき、みなさんにはその決断をするための何か基準はありますか?先生や上司に怒られるからしない。。。とか、そういう決まりだから。。。とか。

以前、少し日本の文化についての本を読み漁ったのだけれど、日本の秩序のあり方ってちょっと独特なんだって思った。震災の時にしばしば言われたけれど、世界から見ても特殊な感覚なのだそうだ。

複雑な世界を秩序だてる第三の方法

先日、ひょんなことから田坂広志教授の公演を聞く機会があった。そこでおっしゃっていたのは、いま世の中の経済のしくみはものすーーっごい複雑化しているんだって。もう機械的な決まったやり方では制御がきかなくなってる。

これまで経済は「自由競争」か「規制強化」かという2極のゆらぎのなかで制御が行われてきました。ところが、これだけ経済のしくみが複雑化してしまうと単純に法律みたいな決まったやり方で、規制を強化したりゆるめたりではどうにも立ち行かなくなってきた。

仕組みや問題が複雑になればなるほど、同じ問題なのにAさんには許されて、どうしてBくんには許されないんだ?みたいなへんてこな状態が起こります。すでにいろんな場所で発生していますよね。。。違法じゃなければやっていいのか?困っている人を目の前にそれがルールなんだから手を差し伸べるのはフェアじゃない、と主張する。身近な日常ですら多様化する生活スタイルに規制が追いつかず、お年寄りに席をゆずる程度のことでわざわざルールを細かく決めなきゃいけない状況に陥っている、ように見える。

そこで、考えられる第三の方法は、「自己規律」だ、というんです。

独特の日本観・・・「恥」

日本には昔から恥ずかしいことはするな、ってよく言われます。これは、法律が許しても、世間が許さない。。。という世間様の文化から来てます。法律や決まりごとで管理されるのではなく、恥ずかしいからっていう自己規律によって成り立っているのが日本の文化なんだそうだ。

法律では特に決められてないけど、それってちょっと人としてどうなのよ?ってことはやらないもんなぁ。なんて思った。

これは、「法」っていう絶対的な規律に対して「罰」を与えるという秩序と違いそれぞれの個がもっている「恥」っていう自己規律によっている。社会的な義務ではなく、むしろ美意識によってこれからの秩序は保たれる。

カッコいいからする!

おんなじようなことを司馬遼太郎氏も言っていた。日本っていうのは仏教や神道の国ですけども仏教も神道も道徳に関してはほとんどとやかく言わない宗教なんです。それでも、日本の秩序が保たれていたのはなんでなんだか不思議。。。恥ずかしいことはするな、っていう世間様の文化がずっとあたことによるかもしれない。

「カッコいい」「カッコわるい」っていう意識は鎌倉の武士のころからすでにあったんだそう。カッコ悪いから敵に背を向けて逃げない。。。とか
日本の秩序が保たれてきたのは、要するにモラルじゃなくて美意識みたいなもんで、こういう美意識で、社会の秩序が保たれてきたのはおそらく日本だけじゃないか。。。と司馬さんはおっしゃっていた。

犯罪をしないのは、つまりカッコ悪いから。。。なんかこれでいいんですよね。シルバーシートだから席を譲る。。。んじゃなくて席を譲ったほうが美しいから!なんだかしかもこういう感覚ってちょっと懐かしい感じもしたりする。多様な生活スタイルのなかで、独自に着飾ったファッションを考える合間に、今日は独自の「かっこいい」を考えてみよう!



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