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1年くらい…(物語)

うちの母は昔から言動が行き過ぎたところがある。
なんだか常に怒られている気分になる。

「あんた、いつまで遊んでんの!」

そう言った次の瞬間、母は涼しい顔をしてテレビゲームの電源コードを勢いよく引き抜いた。何食わぬ顔をして犯行に及ぶ狂人ほど怖いものはない。

あっけにとられるわたしの心をよそに、ビンっ!という小さな音をたてて、膨大な未セーブのミッションとともに画面は真っ暗になった。

そしていつも一言多い。

「宿題はもう終わったの?」

それ、このタイミングでいうか?むしろ今は宿題よりもセーブデータの方が死活問題だ。

「これからやろうと思ってたんだってば!!」

上の空で応え、グズグズしていると、二言目、三言目がやってくる。

「あ、ついでに風呂掃除も当番でしょ。階段掃除もこないだからやってないじゃない。そろそろ自分の部屋の掃除機もかけなさいよ。あ、これ洗濯物、畳んどいて。」

あー、たまらない!逃げるように重い腰を上げてしまう。

母は九州の山奥から大学の時に上京した。

片田舎から抜け出したくて、唯一東京にいた遠縁の親戚を頼りに、大学受験を受けたそうだ。失敗したら地元に戻らなければならない、人生をかけた一発勝負の大学受験だった。

やっとの思いで手に入れた大学生活だったものの、唯一の頼りの遠縁の親戚は、父からの仕送りを横領し、東京生活のはじまりは散々だったようだ。

いまなら考えられないけれど、当時は親戚の他に相談する相手もおらず、携帯電話がないのはもちろん固定電話すら頻繁にかけられないようなそんな時代だった。九州から上京するというのは、今で言えば言葉の通じない遠い異国の地に留学するような心持ちに近かったのかも知れない。

一人で道を切り開き、徐々に友人が増え情報が得られるようになるにつれ親戚から独立し、東京でだんだんと生活の基盤を築いていったのだろう。

「やるか、やらないか。はよ、決め!そんなもん、あんたの甘えよ。」

それが母の口ぐせだった。そうやって食いしばって生きてきたのだろう。

母は甘えを許さず、自分にも他人にも厳しい人だった。

18歳の冬。わたしは大学受験に失敗した。一浪する友達がたくさんいる進学校だったこともあり、受からなかったことにはそれほどショックは受けなかった。

ただ、ポストに届いた薄っぺらい不合格通知をみたときに、どうしようもない不安に襲われた。

”あぁ、こんな紙切れ一枚で人生が決まってしまうのか。。。”

母には一言だけ報告した。

「今年は、ダメだったわ。」

そのまま、自分の部屋に閉じこもった。

母はどう思っているだろう。母の時代であったなら、これで一発退場だもんな。なんとも不甲斐ないと思っているかもしれない。そんなことより自分の心配だ。人の心情など知ったことじゃない。

将来の不安の渦に飲み込まれわたしは次第に周囲が見えなくなっていった。それは静かに泥沼に足元が埋まっていくような感覚だった。自分でも気づかないほど静かにどす黒い空気のようにまとわりついてくる。

受験っていうのは、自分の将来を思い描くためのチャレンジでも、準備期間でもなんでもない。

家族は腫れ物を触るかのように気を使いそれがまたわたしの猜疑心を掻き立て苛つかせた。

心許せる友達すらも敵に変えてしまう。友人がよい成績をあげるほどに敵意が募り、普通の会話の中にすら焦燥感が漂う。

受験戦争。これはチャレンジでもない。大人たちが用意した、青年たちの戦場なのだ。

友達との交流は日に日に少なくなり、家族との会話もなくなっていった。

わたしの心臓の鼓動は日に日に速くなっていった。世の中を巡る流れの速さに対して、泥沼にはまった自分の足元が遅く遅く焦りだけが募っていく。そのギャップに、心の時計が狂ってしまっていた。

半年ほど経ったある日、母が何気ない口調で話しかけてきた。

「最近どう?」

いつもなら、適当に話を終わらせていたけれど、その時はなんだか話をしたい気分だった。孤独な戦場に疲れていたのかも知れない。

わたしは来年までの予定を事細かに説明した。いつまでに何をやって、これまでにあそこに到達しないといけない、このままじゃ取り残されてしまう。早く結果をだすようにいま頑張ってるんだ。

それは母を納得させるためというよりは、自分を安心させるために吐露した言葉だったのだと思う。

ひととおり聞き終わってから、ゆっくり母が口を開いた。

「1年くらい棒に振ったっていいじゃない。」

え?棒に振るだって?耳を疑った。

意外な言葉だった。。。

いつものように叱咤されるものと思っていた。まったく考えてもみなかった言葉にわたしの頭は一瞬で真っ白になった。マンガのキャラクターのように、まん丸に見開いた目が点になって固まっていたことだろう。

「あなたこれから何年生きるつもり?最近は人生80年もあるのよ?あなたの今はたったの1/80よ?」

そうか。。。母の人生は険しく、歯を食いしばって身を削って疾走してきたのだと思っていた。でも、もしかしたら違ったのかも知れない。どんなに険しい道も1歩からしかはじまらない。失敗したっていいじゃない。次の1歩を踏み出す時間はたっぷりある。

人はね、目先のことに真剣になりすぎると、それが人生の全てであるかのように錯覚してしまう。

でも、大抵のことは100ページ近くある人生のほんの1ページでしかない。

”1年くらい棒にふったっていいじゃない。”
”焦りなさんな。”




#短編 #物語

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