シベリアのうんち ー 語られなかった歴史
「シベリアはしんけん寒いとこち。」
わたしがまだ小学生のころ稀に祖父はシベリアの話をした。
「おしっこするとぴゅーーって凍っていきよるけんな。」
興味をもって耳を傾けると、こう続けるのがお決まりだった。
「おーきいのしよるときはの。葉っぱをつまんじきち、ぴゅっ!とやるんよ。そら冷てーちゃ。がはははは!!」
そういってお尻を拭き取る仕草をしてみせる。
わたしが、じーちゃんきったないーーって怪訝な顔をすると喜んで大声で笑った。
*
それがシベリアで捕虜として抑留されていたときのエピソードだと知ったのはだいぶ経ってからだった。
これも後で知ったことだけれど、シベリア抑留では、厳寒の地で食事もまともに与えられず、過酷な強制労働により、捕虜の1割に及ぶ約6万人が死亡したのだそうだ。
わたしが知らなかったのも無理はない。後で母に聞いたのだけれど、母も(恐らく祖母ですら)シベリア抑留の話は、例のおしっこやらうんちやらの話以外は聞かされていなかったからだ。
ただ、祖母にはかねてから、「俺の身体はそうは長く持たないと思う。40そこそこで、死ぬのじゃないか。」といったようなことは漏らしていたようだ。それだけシベリアで身体を酷使して死んでいく戦友を多く見送ったということなのだろう。
決して長生きとは言えないが、祖父は75歳まで生きた。
快活で奔放でよく笑う人だった。
*
戦争の悲惨さを後世に伝えることを称賛する声は多い。
でも、そのたびにわたしはじーちゃんのことを思い出す。
じーちゃんは、シベリアの悲惨さを話して聞かせることがただ嫌だっただけなのだろうか?
愛する家族の魂に、悍(おぞ)ましい戦争のイメージを刻みつけたくなかったのではないか?こんな記憶に縛られるのは自分だけで十分だ。自分の世代で断ち切りたいと、心に秘めたのではないのか?
今日も小学生がニュースのインタビューに答えている。
「こんな残酷な戦争は二度と起こしてはいけないと思いました。」
少年少女の記憶に残さなければいけない教育はあってもいい。でもいっぽうで残さない知られざる教育が確かにあったのじゃないかといま祖父を想う。
りなる
#シベリア抑留 #戦争 #平和
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