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持ちつ、持たれつ

人には得意・不得意がある。
人間完璧じゃないもの。

だから、不得意なことは誰かにお願いすればよい。
「任せる」んじゃなくって「お願い」するんだよ。

「任せる」ってどこか無責任だと思うんだ。
すべてを誰かに任せきってしまうことで
自分はその成否に関わってませんと無責任を決め込む。

作ったモノやコトがなんであれ
お願いする側にも生み出した責任の一端はある。
「想起」においては責任はむしろお願いする側にこそある。

だからね、「任せる」んじゃなくって
「お願い」したり「お願い」されたりする
持ちつ持たれつの「心持ち」が大事なんだ。

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出来合いのモノを交換するだけに慣れてしまうと
その関係はアベコベになってしまう。

お願いする前から「それ」はもう存在していて
「想起」の責任すら負う必要がなくなってしまう。
生みの責任からも ”自由” であれる。
カッコつきの ”自由” だけれどもね。

すると、「既製」という枠の中でしか生きられなくなって
なにもかもがルールの中にしか居場所がなくなってしまう。
そうやって、大量の「既製」品による不自由に縛られてしまうんだ。

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だからね、「任せる」んじゃなくって
「お願い」したり「お願い」されたりする
持ちつ持たれつの「心持ち」が大事なんだ。

りなる



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