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行動に醒めている

しない・をすると世界は広がる。これを簡単に理解してもらおうとすると、たまに意見がくいちがったりします。目の前の嫌なことを忘れて趣味に興じればいいとか、できることがあるのにやらないなんておかしいだろとか、人生はそんなに甘くないだとか、そんな風に受け取られてしまうことも多い。

いずれにしても、これはただの言葉表現の在り方でしかないのですが、今日は反対に「する」という観点からお話をしてみたいと思います。

あなたにできること

「できることをしよう」という言葉に闇雲に振り回されないでほしい。もちろん、停滞した自分の人生や社会活動において少しでも行動を起こし、自分にできることを模索し続ける姿勢を否定するつもりはありません。ただ、もう少し自分の行動に真摯に向き合ってほしいと思うのです。

だいぶ乱暴な分類ですが、目の前の問題に対してあなたがしようとしている行動には「すべきこと」と「できること」があるのではないかと思います。つまり、「すべきこと」の中には "できないこと" もあるかもしれないし、「できること」の中には "しないほうがいいこと" があるかもしれない。すると、あなたが「すべきこと」+(且つ)「できること」の両方にまたがる領域は意外と少ないということです。

すべきこと
「すべきこと」と「できること」が交わる領域

あなたの責務を見誤らない

あなたやわたしは例の蒼き衣をまとった特別なヒトというより歴史の中のその他大勢のうちのひとりだと思うのです。自分を悲観しているわけではありません。楽観しているのです。そのような重責はないのだから、社会がどうあろうと今を楽しんでよいのです。むしろ今をがむしゃらに生きることこそが責務ですから、そこを逃してしまうと結果的に無意識のうちに時代を押し流す濁流にも、せき止める壁にもなりうるということです。歴史をみると多くの民衆が扇動され、たくさんの血が流れてきました。もし、彼らがよく学びよく現実を洞察していたら、(例えば、現代人の感覚を持ったあなたが過去にタイムスリップしたら)それらの扇動には体が反応しないことでしょう。

それはほんとうに「すべきこと」なのか。自分で自分たちの首を締めていないか。わたしたちが本質的にできることは、今をよく観ることと、そこから学ぶことしかないのです。今が観えれば行動は変わります。

「すべきこと」はしないことかもしれない。「すべきこと」は立ち上がらないことかもしれない。

行動で示せの罠

わたしたちは、生まれた瞬間から消費社会に浸かりきって生きています。好むか好まざるかに関わらず、わたしたちの生活は「生産」か「消費」かのどちらかで価値判断されがちです。

あなたが「すべきこと」を問われたとき、あなたはその結果に対して生産か消費をもたらす「行動」を示す必要があると無意識に考えてしまう。

すべきこと
行動で示せるものは「できること」に偏ってしまう

あなたに示せる「行動」はなんだと問われると、必然的にいますぐ「できること」に手を伸ばしたくなってしまいます。そうです。あなたの人生の価値を「行動」で図ろうとすると、選択肢は「できること」をするという偏った選択肢の中に追いやられてしまいます。

あべこべな行動から醒める

だから多くの行動はあべこべなのです。価値は行動によって示されるという妄想に取りつかれているからです。すると、やらなくてもいいことに縛られ、響きのいい言葉にかんたんに扇動されてしまいます。

それは多くの場合、無意識に起こっているかも知れません。ですから、現実に醒めている必要があるのです。だからこそ行動の選択肢に「しないこと」を据え置くのです。人生は今この瞬間に起こっています。遠くの雨雲をみて憂鬱になるのではなく、いま立って足の裏に感じている地面の感触に嬉々として生きてほしい。

りなる



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