アマゾンオリジナルドラマ「チェイス」で、盗作疑惑の次に私が悲しかったこと

つい最近まで『チェイス』未配信話の直前のエピソードまで見終わった。
二章立てて、一話が25〜30分とドラマにしては比較的短めに構成されている。
そして、中でもこのアマゾンオリジナルドラマ(の一章)はノンフィクションの盗作ではないかと、物議を醸したドラマでもある。
私も、先生時代に「重大犯罪を犯した人物はなぜその末路に至ったのか」個人的に興味を持って犯罪ジャーナリストや死刑囚を相手にした精神科医の本を片っ端から読んでいたとき、この名著「殺人犯はそこにいる(以下略)」(著:清水潔)をもちろん読んでいた。
この本の読者であれば当然だと思うのだが、飛ばし見ながらでも著書の内容とドラマの筋や犯人像があまりにもモロかぶりなので、誰が見てもパクリではないかと気づくだろう。
アマゾンもエンタテイメント性を追求するため、ネットフリックスに引けを取らず、そこそこ今風の俳優を配したそこそこセンセーショナルなオリジナルドラマを作りたかったのだろう、作った制作会社は疑惑を否定。しかし共同プロデューサーのY氏は上記の清水氏の著書に「影響を受けた」ことを明らかにした。

Amazonオリジナルドラマ「チェイス」最終話が未配信で視聴ユーザーから不満の声 「続き見たい」「何もかもが中途半端」新潮社「殺人犯はそこにいる」との類似が指摘されており、新潮社が配信停止を申し入れていました。

nlab.itmedia.co.jp

俳優の批評としては素人だが、元無期懲役囚を演じた平田満の演技は賞賛され、自分はヒロイン本田翼のまっすぐな演技に素直に好感が持てた。疑惑が出た時に、ねじれを起こさず素直に認めて早々に謝罪していれば、作品の価値としては微妙だが、演者や作品を作る上での苦労も貶められなかったかもしれない。
第一章の犯人は、首なし人間として表現されている。幼い女の子の殺害シーンも、草むらを手前にした人気のない河川敷で、手元は見えないが首なし人間が女の子に手をかけている映像が、体感的には結構長く映っていた。
仮に遺族がそのシーンを見たときに、感情が掻き乱されることを誰も想像しなかったのだろうか。もう忘れようとさえしていたことをほじくり返されて、怒りを感じないと思わなかったのだろうか。その想像力が伴わないまま制作されたのだとしたら、創作の原点をクリエイター側が忘れてしまっているのではないか。

「エンタテイメント性を追求するがためにいたずらに遺族感情を逆撫でしていないか」との清水氏本人の指摘は全くその通りであるが、別の側面で悲しくなってしまった。この制作会社とプロデューサーはパクリに乗じるしか手はなかったのか。
ネットフリックスドラマ「初恋」を生み出した寒竹監督のような、優秀な人材と、制作にかける時間はなかったのだろうか。
(「初恋」には制作に6年がかけられている、という。byホリエモン)

着想のきっかけはなんでもいいのである。カフェで又聞きしたOLのおしゃべりとか、職場で同僚から聞いた話とか、ツイッターやnoteはネタの宝庫である。しかしネタから紡ぎ出されるストーリーには、味がなければならない。その人が創ったから、その人が書いたからまろび出る芳香がなければならないのだ。ハッピーエンドならそれはそれでいいのだが、どういうプロセスでハッピーエンドになったか、人物Aのどういう働きかけが人物Bの心を動かし、結末がバッドエンドの線路から、希望と幸福の線路を辿っていったか、描き方を含めそこに作家側の経験・哲学の妙味が出るのではないだろうか。

さらに、ドラマの提供先がその王国ぶりに翳りが見えているものの、市場でのシェアや有数のユーザー数を誇るーつまり多くの人に影響を与えうる企業ーアマゾンであるなら、なおさら視聴者に提起する、という気概を持ってほしい。今回の「チェイス」の盗作疑惑から未配信騒動までの一連は視聴者におもねった結果であろうと思う。十分にニーズをマーケティングせず、「このネタをやったらウケるだろう」「数字は伸びるだろう(アマゾンの場合契約者数の獲得?)」という目測だけで動いた。「コンビニエンス」な視聴率稼ぎだ。かのプロデューサーが、会議なんかで「この清水さんの本、ドラマで再現したらウケんじゃないっすか〜?」とでも言ったのだろうか。だとしたら、視聴者である私たちも甘く見られたものだ。(繰り返すが、演者に罪はない。)

その点、「エルピス」には社会に問題を提起しようという気概が見られた。第一級の俳優をキャスティングし、「今の社会の歪みをどのようにドラマのストーリーに反映させ、問題を提起していくか。そして、どのように演出したらその問題がインパクトに伝わるか」考えられた作品だったと思う。

ドラマなり小説なり劇作なり、創作物を作る側には視聴者や読者が絶対に揺り動かせない特権が与えられているのだ。それゆえに哲学を持ってほしい。安易な指標に左右されるのでなく、「俺は私はこう思う!」と社会にアンチテーゼする大胆さと緻密な構成、支える演出。
あなたが作るからその作品は価値がある。時代は、社会に提起する気概と創作の情熱を持った作家を求めているのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?