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議論における考え方

本稿は教養noteの後続の一つになる。議論について私の考え方を述べたものになる。議論に対する私の考え方はあくまで査読付き論文を出すことを業績としてきたアカデミアに所属する研究者である立ち位置から生み出されたものでもあるが、私の考え方やそのように考えるようになった経緯を本稿で説明したいと思う。本稿は最初の方は無料であるが、全文を読む場合は500円もしくはマガジン購読が必要となる。

1. はじめに

私は元々というか子供時代においては議論がとても下手だったというか、少なくとも論争は苦手な性格だった。性格が元々は気弱だったこともあったのかもしれないが、相手の話を聞くと相手の話に理があるように聞こえてしまって、自分の方も別に論争に元々勝とうという意識が乏しかったこともあり、大体なんでもコテンパンにやられるタイプの男子であった。
 自分としては議論に勝つためには100%こちらに分があることが証拠として揃うまで強い主張をしていくことが苦手なタイプだった。これはとても損な性格だったなと今となっては振り返ることであるが、逆に言えば、それは研究者としては悪くない資質であった。
大学院生になり研究室に所属して研究生活を行うようになってから、自分の分子生物学的な研究データを独自に極限まで論理的に詰めあげて最終的にトップジャーナルであるCNS(Nature, Science, Cellのどれか)に受理させていくような研究者に成長できたわけである。なんというか議論に勝つより、複数の立場から見てもそれなりに納得がいく結論を得たい。これは社会においてはもしかしたら要領が悪い考え方かもしれないので、自分もその後色々と学び、今となっては大人として元のスタイルと、そうでもないスタイルと研究とそうでない場などで使い分けるように発展していった。
 次章から主に大学院以降に研究生活をするようになってから身につけていった議論能力についての自分史とそして、また議論能力を磨きながら途中で勉強した世界における議論の歴史についても少し紹介したい。一応、本稿は以下の教養noteの後続と言える議論noteという作品である。 


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