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観念


「観念」とは

人が物事に対して抱いている主観的
な考えのこと。
それぞれの人が、なにかの物事に対
して抱く考えをあらわしています。

また、考えないようにしていても、
何度打ち消しても、頭の中に浮かん
でくる考えのことを「強迫観念」と
言います。

自分自身の中で、凝り固まった考え
で、外部からの情報などが入ってき
ても簡単には変わらないものを
「固定観念」と言います。

「観念」は、それぞれの人が何か
に対して抱く「考え」ですので、
対象の物事に対して心の動きや
感情が加わったもの、個人に認識
されたものということです。

意味解説辞典より

「観念」はそれぞれの人の考え、
「概念」は世間一般に共通した
意識。



ここから書くことは、
凝り固まった不都合な観念です。
私のことで例えてみますね。

過去の私の日常は、しなくてはなら
ない事が多すぎて、現状をどうやり
過ごすかに、毎日が翻弄されていま
した。

「もう、疲れたからやりたくない」
と思っていても、相手の顔色を見
ると怖くて頼めない。

頼めば機嫌が悪くなって、
怒られるかもしれない。
もし、やってくれたとしても、
やらされた感満載でイライラ。
家中がピリピリ凍りついたっけ。
思い出すと、怖くて頼めない。
それぐらいだったら、我慢して
自分で終わらせた方がマシだわ。

私は心底疲れていて、
相手は仕事もなく、ゲームで
暇をつぶしをしている。
それでも、怖くて頼めない💢

「他の人に頼む」選択や、
「やらない」選択もあるのに、
どの選択肢を想像しても、
予想される展開は同じだった。

「女(嫁、妻、母)がやるべきだ」
とみんなが思っているから、
私が頼めば(やらなければ)
周りのご機嫌が悪くなる。

↑コレが強迫観念です!

私は、常に被害者意識で生きて
いるわけでもなく、
周りに対しても、100%自分の
都合の良い人物像を望んでいる
訳ではありません。

理性的な思考では、
人間同士なんだから、良い面も
悪い面もあるのは重々承知の上
で暮らしていました。

しかし、「これだけはムリ」
という地雷のようなものが
幾つかあって、状況、言動、
行動のどれかがトリガーに
引っ掛かると感情が暴れる。

必要以上に自分を守ろうとする
ことに必死で「恐怖心」という
感情を生み育てているのは自分
自身だという、当たり前の事実
に気づけない。
相手のせいだと、反射的に反応
をしているのです。

灰かぶりのシンデレラガールに
戻ってしまう。
辞めたいのに、なぜか演じてる。


↑コレが固定観念なんです。

観念をイメージしやすいように、
家族、恋人、友達でも当てはま
る悩みをチョイスしました。
ドロドロの深い悩みも同様です。

私達は「観念」という歪んで見え
るメガネ越しに、相手を見ている
感覚だと感じます。
そこに「〇〇された私」という
エゴの思考と、感情を上乗せして、
臨場感をもって体感する。

歪んだメガネをかけていること
に気づいていない。
もしくは、メガネの外し方が
わからずに、錯覚を起こし続けて
しまうのです。

今だに不当な扱いを受けている
と感じる方や、思い出すだけで
心の傷を痛みとして感じる方は、
理解しがたいことかもしれません。

自分に非がなければ、
相手が先に変わるべきだと
感じてしまう。
今まで我慢し続けてきたのに、
これ以上どう自分を変えれば良い
のかと、怒りさえ感じてしまうで
しょう。
私も、そこから考えを改めることが
できずにいました。

もう一つ知るべき重要なことは、
この世界は、自分自身の解釈が
外側に投影されている。

量子力学でも、証明されている
意識の投影ですね。
(また改めて後日説明します)

自分が放つネガティブな意識
(エネルギー)が、自分の現実とし
て投影されているのは、紛れも
ない事実です。
だとすれば、自分の見方や捉え方
が変わらない限り、同じ現実を味
わい続けることになります。

まるで、卵が先か鶏が先か?
相手が先か、自分が先か?
ですね。

巷のスピリチュアルでは
「自分の観念を手離す」とか
相手を許す、相手に感謝する、
何でも善きことと捉えると、
言われています。
確かに、できるなら素晴らしい
ですが、出来なくても仕方がない
と思います。

それでも、まずは
傷ついている自分くらいは、
できるだけ早くに解放して
あげたいですね。


ネガティブな感情は、
本来の自分がどうしたいのか?
魂との違和感を察知したという
お知らせです。

観念から生まれたエゴは、
単なる防衛反応で、不都合な
現状から自分を守る盾です。

「自分を守る必要がある」
と思い込むことで、自動的に
外側に敵を作る。

敵を作るということは、
傷ついた自分を存続させる
ことでもあるのです。
意識のパラドックス…。
気持ち悪く、延々続きます。

そこから抜け出そうと決意する
ことが、自分らしく生きる
第一歩だと思います。

他人軸で生きていた私が、
自分軸に切り替え始めたとき、
周りも対応が慣れず、
ギクシャクしていました。

自分で出来ることは、自分で。
出来ないことは協力し合う。
幼稚園や小学校で習う、
当たり前のことでさえ、
世代を超えて守り抜いてきた
古い概念は抵抗します。
私自身も理不尽だと思いなが
らも、相手ができると信頼が
できなかった。
共依存だったのでしょう。

無意識に受け継いだ概念を変える
のは、ある意味「家族間の革命」
です。

「今までの当たり前を改革」
するのですから、お互いに、
怒りも、不安も不満も、湧き
上がって当然です。
不当な扱いには怒っても良いし、
もがいていれば、ご機嫌がなかな
か、直せない日だってある。
それもお互いさま。

心の奥底に深く沈んだ観念を
見つけ出した証拠です。
「人間だもの」って相田みつを
さんだって言っていました。

外側に向いていた意識を、
自分に向けているうちに、
自分を大切にできるようになり、
周りも冷静に見えます。
相手への、思いやりや感謝が徐々
に芽生えてきました。

とても気持ちの良い境地で、
シンデレラの時と同じ環境で
生活を営んでいるのに、
パラレル移動したかのように、
世界観が変わって見えました。

自分の意識次第で、現実を変える
ことが本当にできる♪
私の経験が証明しています。

何となくイメージとして、
伝わってくれたら嬉しいです。

それでは長くなっちゃったので
続きはまたね。
ごきげんよう。