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104冊目:一切なりゆき

樹木希林さんの名言が詰まった一冊。
ずっと読みたかった本。映画を見て、演技が凄くて、偉人のような遠い存在だと思っていた人だったけど、この本を通して樹木希林さんの言葉や考え方に共感し、少し親近感が湧いた。

私のことを怖いという人もいるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。

本文より

樹木希林には欲がない。物事に対する執着がない。家族に対しても、自分自身に対してもない。女優という仕事にも執着がなく、辞めろと言われればやめるという。少し人間らしくないかもしれないけど、その事について書かれていた言葉を読んだ時、一気に親近感が湧いた。

なぜ自分はこんな人間になってしまったのだろう。そう考えるとき、思い当たるのは、自分の心の内にある「生きることへのしんどさ」。それは子どもの頃からずっと、私の中にありました。しんどいと思いながら、ここまで生きてきたんです。

本文より

そんな樹木希林さんが好きだった事の中に不動産雑誌を見ることがある。目的があるわけでもなく、見るという。

私は不動産が好きで、家に対しては少なからぬ執着があって。ただ、その執着もル・コルビュジエが、彼の好きな地中海を望む場所に、自分たち夫婦が住むための小屋をつくったという話を聞いたとき、とんと抜けたんです。禅でいう方丈ではないけれど、あれだけの建築家がやりたいことをやり尽くした末に、最終的にたどり着いたというその小屋を見たとき、こちらまで身軽になったというか・・・。

本文より

年をとること

樹木希林さんにとって年をとることとは、出来ないことが増える。不自由が増える。だけどその分身軽になる。

不自由なものを受け入れその枠の中に自分を入れる。年をとるというのは、そういうことです。

本文より

樹木希林さんは、素直に感じたことをそのまま言葉にする。分からないことはわからないという。年をとることは分かるけど、「死」が何かを問われた時にはハッキリ分からないという。だから自分で考えなさいと。

えっ、私の話で救われる人がいるって?それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ。

本文より

最後に

最後に個人的に好きな文を3つ。一つ目は、樹木希林さんが伊勢神宮を訪れた際の言葉。なんかとても深い。二つ目は女について。三つ目は日々の感謝について。

個々の人が、それぞれの役目を果たすための拠り所とする自分なりの神みたいなものを持っており、それが八百万の神に通じて行くんだなという感覚はわかりました。あなたにも私にも、おのおのが思う神という存在があり、皆に理解できる八百万の神というものに投影されて行く。そしてその頂点としての伊勢神宮に集まってお参りする。

本文より

やっぱり世の家族が崩壊しないのは、女の粘り強さですよ。女が台となって“始”って漢字になる。全ての始まりの土台を作るのが女だからね。そこがグラグラしてるんですよ、今の世の中は。そこのところがドシっとしていれば、たいていのことは大丈夫。女っていうのは、きっとその人生が終わったときに、いい意味で泣いてもらえる、いつまでも”いてくれて良かった"と思われる存在になるんじゃないかな。

本文より

最近のわたしは、”きょうよう”があることに感謝しながら生きています。教養ではなく、今日、用があるということ。神様が与えてくださった今日用をひとつずつこなすことが日々の幸せだし、最後には、十分に役目を果たした、自分をしっかり使いきったという充足感につながるのではないかしらね。

本文より

本書にある樹木希林さんの理想的な死に方は、自分自身が「お世話様でした、とても面白かったです、納得いきました、ウフフフ・・•••」と言って死ぬこと。そのために毎日身を削いで生きる。余計なものは抱えず、目の前にあるものに感謝して。

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