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そして、想いは呼応して、、、

私には、ファッションなんて語る資格がないと思っていた。

リモートワーカーだし、外出をあまりしなくなってしまった今、
好きな服を着て歩ける舞台が、自分にはなくなってしまったような気がしていた。

そんな中でも、ただただ衝動的に、自分の思いが言葉という形になって、
自分の中から溢れるのを感じていた。

それを必死に救うようにして、
濾過するように、言葉を選んで掬い上げて、
形を崩さないように優しく手のひらに残った言葉を集めて書いてみた。

それが、この記事だった↓

自分のことを書くなんて、ちょっと気恥ずかしいような、怖いような(プライバシー的なものへの警戒感というか)そんな気持ちの中で、

”書くという、不思議な衝動”のようなものに身を任せるように、
この記事を書いてみた。

当初は、記事を書き終えて、それで自分の気持ちの整理がついて、満足だったのだが、意外にも温かいコメントが寄せられて、本当にただただ嬉しかった。

そして、同時にそれに救われ、癒され、新たな発見にたどり着いたのだ。

自分が舞台だと思えば、どこでも舞台になるんじゃないかと思います。

こちらは、記事にコメントをくださったramさんの言葉だ。

自分が舞台だと思えば、きっと世界中が舞台になるんじゃないか?

その言葉を理解しようとしたその瞬間、
私の脳裏には、この曲の一節が。(いつものラジオ語り節風。笑)

One,two,threeでチルアウト 夜を越え僕ら旅に出る
ドゥルスタンタンスパンパン 僕ビートマシン
ライブステージは世界のどこだって

こちらは、くるりのワールズエンド・スーパーノヴァという歌詞の一節。
もはや好きすぎる曲のあまり、家でもどこでも歌いまくっていて、歌詞はほぼみなくても歌えるレベルの歌。

<ちなみに、くるりのこの曲は、記事でも詳しく書いたので、よければぜひ↓>

自分がライブステージだと思えば、世界中のどこであろうと、
その場所は間違いなくライブステージなんだ、、、

自分が舞台だと思えば、世界中のどこであろうと、その場所は間違いなく舞台なんだ、、、

たとえ、自分の歌を聞いてくれる人がいなくても、
そこは、間違いなく自分のためのライブステージだし、

(そういえば、学生時代によく一人旅をしたが、旅先で大声でJ-POPを歌う癖がある自分は、間違いなく、この”くるりの歌詞の教え”?を実践していたよな、、、と旨を張ると同時に、変人アジア人代表としても自覚せざるを得ない気持ちでいっぱいになるのだが。あぁまた話が脱線した。)

たとえ、せっかくオシャレをして丁寧にメイクをしても、
誰とも特に会うことがない、この不慣れな環境下でさえ、
自分が、それを舞台だと思えば、
きっと、その不可思議な場所が、自分の舞台になるのかもしれない

部屋で仕事をこなすことが多い私にとっては、
『この部屋こそが、キラキラした楽しい舞台なんだ』と思おう。

好きな服を着て、メイクして、ちょっと特別な自分になって、

そして、舞台に立って、

今日も一人で仕事をする

それは、自分一人の舞台。

だからこそ、とびきり最高の舞台にするために、
その観客を喜ばせることを、考えてあげよう。

世界に一人、きっと自分が死ぬまで付き合うであろう
自分自身という不可思議なあの人を満たすために
やっぱり私は好きな服を着て楽しくいようと思う。

部屋で一人で仕事の合間にnoteに来て
思いを綴っていると、その思いを汲み取ってくれた誰かが
その思いを重ねてくれる、、、

まるで、軽やかに踊るように、誰かの思いに呼応し、共鳴するように。

踊るように歌うように、言葉が連なりあっていく。

今の私は、あの記事を書いた自分にこう言いたいと思う。

自分が舞台だと思えば、きっと世界中が舞台なんだと思える。

きっと、思い一つで変わる景色がある気がする。



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