魚眼レンズ① 雑談&木下夕爾【金曜日記事】

リブラで書く場所ができたことがうれしいという話


すこし正直な話をしたい。
我々は全員が別の結社に所属し、関係のある俳人も別々だ。そのような五人が集まって同じ場所に週替わりで「何か書く」ことにしたのはもちろん狙いがある。
お互いのフォロワーを共有するということはそれだけ目に留まる機会が増え、あまり関わりのない同人にも親近感をおぼえていただける、この場所はそういう意味で大きなチャンスなのだ。そしてこれをお読みになっている、例えばたくみ君のお友達や義悠さんのお友達、僕にかかわりがない方もたくさんいるだろう、ぜひ、これからの作品、評、どちらも読んでほしい。いいものを一生懸命書くので、応援してほしい。
山本たくみから入ってリブラの櫻𩵋、内野義悠から入ってリブラの祥聖、縉太、というように同人全員をかわいがっていただきたい。これは僕たちがまだ未熟だから、正直にお願いできることだと思う。よろしくお願いします。
リブラはまだ未熟で、全員が第一句集も持っていない同人誌だ。だからこそできることがあると思う。三人から五人へ、仲良しで終わらせるつもりはない。

「魚眼レンズ」の話


「魚眼レンズ」は僕の個人noteで書いていたブログの名前だ。そのままこちらに移植することにした。過去から現在まで問わず、そのとき読んで面白かった俳人、句集を紹介したいと思う。今回は最近全集を手に入れた木下夕爾について書いていきたい。この時点ですでに長いが、もう少し続く。前置きはいいとして、さっそく夕爾を読んでいこう。

定本木下夕爾句集 の話

木下夕爾を取り上げる理由は、定本に収録される句数がそこまで多くないため、全体を見通しながら、代表的な句集である『遠雷』(208句)を論じることが可能であると思ったからだが、全体を見通すことは結果としてしなかった。夕爾の句を読んだ印象は、詩人らしい抒情と、いい意味で俳句作家らしくない飛躍、あるいは近さ、といった感覚があった。そして初期~『遠雷』にこそ光る句が多くあるように思う。むしろ後期の作品は写生に振り切った哲学的な軽みがあり、つかみどころのなさに、僕の力では解釈に困った。よって本稿では夕爾独特の抒情が冴える初期から『遠雷』までを主な対象としたい。

広島県福山市に生まれた夕爾は、中学生のころから詩作を始め、第一早稲田高等学院に進学するが、家業の薬局を継ぐために、愛知県の薬学校に転入学する。卒業後に福山へ帰郷し、薬局を営むかたわら、文学活動を続け、そのまま福山の作家として亡くなる。1944年より安住敦の俳誌「多麻」に投句、1946年より久保田万太郎の俳誌「春燈」に参加。万太郎に激賞され「春燈」主要同人となる。1956年句集『南風妙』、1959年『遠雷』を刊行。1961年、広島春燈会を結成、また句誌「春雷」を創刊・主宰する。(ふくやま文学館「作者名データ&資料:木下夕爾」、Wikipedia「木下夕爾」参照。)
文学を志して早稲田に入ったものの、身体が弱く、家を継ぐために転校し帰郷した夕爾はどんな思いだっただろうか。飯田龍太にもいえることだが、このように夢を諦めて帰ってきた作家は少なくない。そしてその鬱屈が作家としての動力となっているのも間違いない。
『遠雷』において夕爾に光る、僕が書きたいと思っているところは、そのような冷たさをも感じる句である。いくつか挙げたい。

たたずみてやがてかがみぬ水草生ふ
鐘の音を追ふ鐘の音よ春の昼
炎天や昆虫としてただ歩む
稲妻や夜も語りゐる葦と沼
地球儀のうしろの夜の秋の闇
繭の中もつめたき秋の夜あらむ
枯野ゆくわがこころには蒼き沼

夕爾は俳人の前に詩人であるため、自由奔放(語弊があるといけない、自由詩にも理性はもちろんある)なテクストの書き方に慣れていて、俳句の韻律から解放されたがっている感がある。
たとえば、すべてを説明してしまうように詰まった句、〈友も老ひぬ祭ばやしを背に歩み〉〈秋草にまろべば空も海に似る〉、あるいは心象を季語と合わせて直接的に詠んだ句、〈泉のごとくよき詩をわれに湧かしめよ〉〈冬の陽や泣くとにあらずうづくまり〉。もちろんこれらも魅力の一つではあるのだが、季語がはまりすぎていて、特に心象の句はむしろ言いたいことのための演出、説明に成り下がっている感がある。台本通りといったところか。
しかし、先に挙げた句のように、ぐっとをこらえて「描写」に力をいれたとき、しぼりだされた詩情がきわめて静謐で、むしろ読み手の感覚に深く沈みこむようになる。我をこらえたほうがむしろ作者の私性を感じるということで、俳句的には「託す」としばしばいわれるが、まさに夕爾は「託す」ときの句がどれもよい。

たたずみてやがてかがみぬ水草生ふ
炎天や昆虫としてただ歩む

ただずみ、そしてかがむという一連の動きをたっぷりと時間をかけて描写すること、昆虫に生まれて死ぬまで昆虫としてあだ歩み続ける性にあること、ここに夕爾の鬱や苦悩の歩みがみえないだろうか。語らない句の方がはるかに雄弁であるという神髄のようなことを改めて実感させられる。
憶測にすぎないが、これには師である万太郎の影響があるのではないかと思う。万太郎の句における言葉遣いは平坦で、それでいてたっぷりと“語らない”。妻子に先立たれた晩年の寂しさを〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉と詠んだ万太郎の感覚。これが夕爾に影響を与え、あるときは己を出し、あるときは我慢するという独特のバランスを生んでいるのかもしれない。そして僕は後者につよく魅力を感じている。
先に挙げた句に簡単な評を述べたい。

鐘の音を追ふ鐘の音よ春の昼
放たれる鳥のようにひとつひとつの鐘の音を思った。なにかを追うなにかというのは切迫したような緊張感をうむものだが、「春の昼」によってきわめて平和的な景色である。春のほのぼのとした景色が鐘の音の低さを感じさせ、その重厚さには畏敬をも思わせる。

稲妻や夜も語りゐる葦と沼
葦のざわめきが稲妻の夜にあり、沼と語り合うように聞こえているわけだが、沼の声はどうだろうか。沼は泉や湖に比べて粘度の高いような感じがあり、漣立つよりはもっと水底の深い部分で葦と語りゐるのだろうか。どちらにせよあまりよい話の気配がしないのがおもしろい。

地球儀のうしろの夜の秋の闇
まず宇宙を思い、そして闇の広さに怖くなる。大きなものを縮図的に書くやり方は俳句的であるが、「うしろ」がこわいのだ。これを宇宙と思い、地球とおもえば、うしろとはどこだろう。そして戻ってきて地球儀をみたとき、うしろの夜とはこちらがわで、闇だ。

繭の中もつめたき秋の夜あらむ
池田澄子〈ピーマン切って中を明るくしてあげた〉実際に中が暗い(明るくない)かどうかは本当は誰も知らないのだ。掲句においても繭の中がつめたいことを一体誰が知るのだろうか。しかし、繭の中に蚕の死骸があるのは確かだ。我々の世界にも死があり、繭の中も死がある。

枯野ゆくわがこころには蒼き沼
沼の粘度のことを少し書いたが、枯野というからからに乾いた場所に沼のようにもったりしたこころは心地よい。枯野を歩くとき、私の中の水分を思うことがある。身体の中は赤いはずだが、なぜか青く思うこともある。このような感覚。


どの句も心象を直接的に吐露されたわけではないのに、夕爾の静かな性格を知れたような思いになる。このひとは俳句を丁寧に書いて、いろいろ思っていそう、そういった真面目さの気配が夕爾の魅力なのだろう。

夕爾の魅力は書ききれないが、ここらへんで終わっておこうと思う。
また、魚眼レンズではこのフェーズでそれっぽくまとめることをしないつもりである。最後にさくっと評を書いて突然おわるくらいでやっていきたい。

ここまで読んでくれてありがとうございます。おわり。

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