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永元千尋 略歴 : 第1部/立志編

 自己紹介、というにはいささか長すぎますが、これさえ読めば「永元千尋はどういう人間で、これまで何をしてきたのか?」がまるっとご理解いただけるかと。 


立志編

1974 : 誕生

 〔宇宙戦艦ヤマト〕TV版第1話の放映開始日、四国西南部・旧帝国海軍宿毛湾泊地のすぐ側で生まれる。
 情緒豊かで優しい子に育つよう、母親は〔フランダースの犬〕だの〔アルプスの少女ハイジ〕などを見せようとするが無視。その反面、父親が面白半分に言う嘘、たとえば「さっき向こうの山にゴジラが歩いてた」とか「(飛行機雲を見ながら)あれはウルトラマンだな」などという話には凄まじい勢いで食いついていたという。
 家が飲食業を営んでいたため、毎週のように届く週刊マンガ誌を絵本代わりに読みながら成長。小学校に上がる前にはひらがな/カタカナの読み書きができ、簡単な漢字も読めていた。

 本人曰く「日本語はDr.スランプに教わった」
 

1981 : 小学校入学

 アニメ版〔Dr.スランプ〕第1話の放映開始日に小学校入学。
 運動はからきしダメで普通ならいじめられっ子一直線であったが、手先が器用だったため絵を描いたりプラモを作るのが得意で、爆発的なガンプラブームにまんまと乗っかり独自の地位を築く。
 

1983-1986 : 原点、あるいは呪縛

 長尺ドラマの物語がだいたい理解できる年齢になったとたん〔聖戦士ダンバイン〕というとんでもない劇薬を注入される。さらに立て続けに〔重戦機エルガイム〕や〔機動戦士Ζガンダム〕などの直撃を受けて決定的に認知が歪む。
 なお悪いことに、第二次性徴が始まり異性に興味を持ち始める絶妙のタイミングで〔魔法の天使クリーミィマミ〕や〔魔法の妖精ペルシャ〕に被曝。

「これは女の子向け……本当は男が見ちゃいけないモノ……」

 という背徳感にドギマギしつつ祖父母の家で隠れて視聴し続け、取り返しのつかない性癖の突然変異を引き起こす。
 

1987 : CROSS ROAD

 当時の級友K(仮)に誘われるままマンガを描き始め、これに熱中。授業中にも隠れてコソコソ描いていたため、何度となく教師に見つかりノートを取り上げられるも一向に懲りなかった。
 そんな中、呆れ返った科学担当の教諭に「お前はもうそれで食っていくしかないな」と言われた瞬間「その手があったか!!!!!!!!!」と致命的な思い違いをしてしまいマンガ家を志す。
 なお悪いことに父親がアレだったので「そうか! 頑張れ!!」と無責任に後押し。現実的に考えてブレーキをかけようとする大人は誰一人として周囲にいなかった。
 

1988-1989 : 後に言う中二病

 本格的にマンガを描き始め、つけペンやスクリーントーンの使い方を独学で学び始めるが、ほどなくしてイメージ通りの背景が描けないという大問題にぶち当たる。
 結果、作品と呼べるものなど何一つ完成させることができず、キャラ絵を含む設定画だけをひたすら量産し続けるというありきたりな口だけマンガ家志望者に成り下がる。

 また、この頃に経験した大きな出来事として、コンピュータRPGの古典的名作〔WIZARDRY〕との出会いがあった。
 さらにそのノベライズ、ベニー松山著〔小説ウィザードリィ:隣り合わせの灰と青春〕ならびに〔風よ、龍に届いているか〕に触れる。
 これによって「小説」のイメージが「国語の授業とかで無理矢理読まされるもの」から「モノによってはマンガと同じかそれ以上に面白い」に刷新。この経験がのちのち大きな影響を与えることになる。
 

1990 : HIGH-SCHOOL LULLABY

 高校生になり、何を間違ったか進学選抜クラスに迷い込む。

「大学には行きません。マンガ家になるので」
「学歴社会なんてもう終わりますよ」
「親の金で大学行って遊ぶより社会に出て勉強します」

 などと血迷ったことを進路指導の教諭に向かって堂々と言い放ち、進学選抜90人中90位を独走していたにもかかわらず、なぜか選挙で上級生に競り勝って生徒会執行部副会長の職に就く。
 ここで執行部の権限を悪用、文化祭のバザーに出品する商品をちょろまかそうと品定めしていたところ、集英社コバルト文庫の山を発見。幼い頃にこじらせた性癖を全開にしてこっそり読み始め、新井素子著〔星へ行く船〕と運命的な出会いを果たす。
 感動しすぎて三日三晩マジで飯が喉を通らず、マンガ家じゃなく小説家を目指そうときわめて安易に方向転換。
 

1991 : 決定的な一歩

 高校2年。引き続き生徒会執行部に所属するも、送辞だの答辞だのと何かと面倒臭い会長職を女友達に押しつけて副会長に留任。責任が軽いのをいいことに夏期休暇中の体育祭準備を丸ごとサボり、原稿用紙換算350枚ほどの長編小説を完成させる。

〔メカと生物の融合した巨大ロボと精神接続して戦う主人公と、実験動物のように扱われるヒロインとのボーイミーツガール〕

 という、アイデアだけ見ると後年大ヒットしたエヴァンゲリオンを先取りしていた部分があった。目の付け所は割と良かったのかも?
 ただ、この時に応募した新人賞は落選。当時はまだ審査の過程が公表されておらず、処女作の客観的な評価は得られなかった。なので、同作を読了した友人らの反応が全てだったということになる。

「けっこう面白かった」
「これよりつまんない本いくらでもある」
「お前ほんとにプロでいけんじゃね?」


 友人に向かって酷評などできるはずもない、これら全て世辞に過ぎないかもしれない、などと疑うほどの知恵も用心深さも持ち合わせておらず、俺は小説を書いて食っていくぞといよいよ本格的に思い込む。
 

1992 : 大波に揺られる小舟のように

 高校3年。働きながら小説を書き出版社に原稿を持ち込むつもりで東京周辺での就職を画策。その当時は父親が町会議員で某政党青年会長を務めていたこともあり、持てるコネをフル活用。のちに大臣を務める与党政治家に頼んで就職先を探してもらうも、就職先が全く決まらなかった。

 実はこの頃、バブル経済がはじけて日本経済の凋落が始まっており、一流大学を卒業しても就職先がないという世情になりつつあったのだ。将来は学歴にとらわれない社会になるという見立てはバブル絶頂期で日本がイケイケドンドンだった一時期の幻想だったのである!
 世間知らずの高校生にそこまで世情を見通す力はなく、バブル期の追い風にあった社会しか知らない周囲の大人たちもまた同じであった。同じように大学進学→正社員の生き方を選択しなかった同世代の学生は、さぞ多かったことだろう。
 これがまさか後になって「ロスジェネ」や「就職氷河期世代」などと呼ばれ社会問題化するとは夢にも思わなかったよね。
 

第2部「飛躍編」へつづく!

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