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人生に行き詰まった時は一人旅をしてみよう。必ずしもなにかが解決するとは限らないけれど。

どうして人生は、こうも上手くいかないことだらけなんだろう。

行き詰まるきっかけなら幾らもある。
お互いに好きあっているはずの人と取り返しのつかない喧嘩をしたり、ほくほく順調に進めていたはずの仕事で致命的なほどのミスをしたり、身近な人の信じられないくらいサイコパスな側面を知って心臓が止まるほどのショックを受けてしまったり…。

怖い思いをするたびに、失敗が重なるたびに、びっくりが重なるたびに、私は怖くて、怖くて喉がきゅっと締まる。鼻がじわっと熱くなる。目玉がぐーっと収縮する。
頭はさーっと血流を止めて、息ができなくて、空回りする頭を抱えながら、文字通りブルーな気持ちで満たされながら布団の中に潜り込む。
そこには沼がある。

人それぞれの"詰まり"があると思うんだけど、そんな息苦しさの沼に囚われた時に、私は一人旅をしてみた。

最初は、ただ布団から逃げ出す口実が欲しくて。
でも、辛い可能性を秘めた人間関係や、きつい仕事、それらに忙殺されて見失った趣味に取り組むのでは、ハードルが高かった。

だから旅にした。遠くに逃げたかった。
誰も知らない場所に行きたかった。

スナフキンのことあんまり理解してなかったけど、今は少しわかる気がする。

お金や時間や立場の弊害をぜんぶ取っ払って、飛び込むように実行した。

飛行機の手配からホテルのブッキングから旅のメインテーマまで。

初めて自分1人で1から決めて。


そしたら、そしたらね。

びっくりするくらい上手くいかなかった。笑

予想以上に。

日々の失敗や詰まりから逃げたはずなんだけど、旅の最中はいちいち詰まるし失敗する。

まず飛行機のチェックインがうまくいかない。
ホテルの予約も変な場所に取ってしまう。
ご飯屋さんは定休日。
迷子になって体力は残らない。
予定が狂って時間もない。

あれ?自分ってこんなにポンコツだったんか?

楽しいことなのに、なぜか嫌々やってる普段のルーティンよりもっと上手くいかない。

しかも、失敗が重なったことによって、今まで過ごしてきた生活の中にも、自覚していた以上の失敗や騙されていたことがたくさん溢れていたことに気がついた。幸か不幸か。

それなのに、旅の失敗では不思議と笑顔になった。

いや〜、また失敗しちゃったよ。
上手くいかなくて元々だよね。
反省反省!(学習はしない)

こんな調子で、心の中の自分は、けたけたと笑いながら上手く気持ちの切り替えをしてくれた。

それは、歩いて体を動かしているからかもしれないし、お日様の下を歩いているからかもしれないし、なんやかんや好きなことをしているからかもしれない。
それはそうだろう。
これが仕事や人間との問題なら切り替えは難しいことのほうが多い。
うん。そうなんだけど、そうじゃなくて。

多分、ここで大切なのって、"切り替えられた実績をつくること"だ。
もしくは、"切り替えた実感を体に刻み込むこと"なのかもしれない。

普段の生活だと、ただでさえタスクそのもののハードルが高く感じるし、びっくりのレベルも高すぎて人間不信にすぐなっちゃう。

仮に失敗して平気な顔をしていると、場合によっては人間をやめる(ディオ並感)ことになっちゃうから、特に人とのことで失敗した時は平気でいたくないかもしれない。

だけど、旅という、個人的な趣味以上に本当にやってもやらなくてもよいものなら。
生活になんの支障もないものなら。

失敗しても平気、もしくは平気に感じてもよいという安心感がある。

今のところ、1人旅の中で1番大きな収穫は、こんな感じ。

ちなみに私は四半世紀くらいは生きてきたんだけど、きっと大学生くらいで留学とか海外一人旅とかしてた子達は、あの子やその子は、こんな発見を10代とかでしちゃったんだろうな。
わかんないけど。

更にちなむと、旅したからって現実の問題はなにも解決していない。
サイコパスはまだ職場にいるし、喧嘩別れも修復していない。

だけど、最近は、それなんとかしなきゃいけないのかな?という疑問が芽生えるようになった。

当たり前のこと言っちゃうけど、なにもかも上手くいく人生なんてないし、自分がもがけば解決する事柄の方が少ないんだよね。
どんなに理不尽に感じても、明日には事態が、なんならその価値観自体が覆るかもしれない。

それなら、目の前にある自分に出来ることや、心の底から自分がやりたいことを優先して見つめるしかないよね。
良いとか悪いとか抜きにして、もうそうするしかないんだ。

なるほど、旅から得たものはある種の"諦め"の感覚なのかもしれないな。

今なら芸術の秋、食欲の秋。
夏バテも重なって、暗いお布団に捕まっている人は、ぜひ、旅を。

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