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ツール・ド・おきなわ2022 その1 〜プロローグ〜

このNoteについて

このNoteは平凡なサンデーライダーのパパが仕事・育児・家事と両立しながら国内最大規模のアマチュアロードレース「ツール・ド・おきなわ2022」へ向けて奮闘した記録である。
果たして、限られた練習時間で結果を残すことはできるのか?!


結果が欲しい 〜「敗北」を知ったツール・ド・おきなわ2019〜

これまでの人生を振り返ってみると、今まで学業や仕事については偉業というものはないものの、一定の成果を残すことはできていた。
しかし、スポーツに限っては何も残せていない(小〜高校は剣道、大学〜社会人は野球)。
「体格に恵まれていない」「才能がない」と言い訳をあげればキリがない。
その時の筆者は単純に才能がないにも関わらず碌な努力もしない上、その場の雰囲気が楽しければいいとモチベーションも低かったのだろう。
だから勝負に関して負けても悔しくなかったし、そもそも本気で勝ちたいとも思ってなかったのだ。

ただ、ロードバイクだけは違った。
最初は友人がやっているのを面白そうだと思ったことがきっかけだった。
その後、筆者も自転車を購入し、いろんな場所へ走りに行き、今では趣味の域を少し(?)超えてどっぷりはまっている。
そう、妻にも呆れられるほどに…。
「敗北」を知ったのは「ツール・ド・おきなわ 2019 100kmオープン」に参加した時のことだ。
羽地の登りでDNFの結果を突きつけられた。
この時は両脚が攣ってしまい、身動きを取ることすらできずレース終了を告げるアナウンスを聞きながら呆然と運営の車を見送った。
スポーツで初めて悔しい思いをし、本気でリベンジを誓った瞬間だった。

羽地の三段坂に続く緩やかな登り。2019年のレースはここで終わりを告げる…

ツール・ド・おきなわ2022への挑戦

「ツール・ド・おきなわへの参戦はいつでもできる。また来年頑張ればいい」そう思っていた時が筆者にもあった。
しかし、仕事の事情、家庭の事情、怪我、病気、更には自分ではコントロール不能な外部要因(パンデミックなど)によりそんな「当たり前」はいとも容易く崩れ去る。
筆者の場合も例外ではない。
仕事は勿論プライベートでも娘が産まれて益々多忙を極め、ロードバイクどころではなくなった(祖父母は遠方のため夫婦二人でなんとかするしかない)。
ロードバイクなんて所詮趣味でしかない。
生きていく上での必需品ではないにも関わらず、時間とお金を消費する。
パフォーマンスを維持するためにはそれなりの時間を確保し続けなければならず、その皺寄せは家族へいくことになる。
とてもレースに出場できるコンディションではない。
自ずとサドルに跨る頻度が減っていき、パフォーマンス・モチベーションともに下がっていった(2022年1月〜7月)。

だが、このまま諦めていいのか??それで後悔しないのか??不完全燃焼のまま次のステップに進めるのか??
河川敷で娘と散歩している時、筆者の脇を走り去るローディーを見ると2019年の悔しさがフラッシュバックしてくる。
来年出られる保証はないし、挑戦できるのも彼女が小学校に通い始めるまでのあと5年に限られるだろう、体力的にも年々不利になる。
いつまでも、幾つになっても叶えられる夢でないことは分かっている。

2022年9月、幸いにも筆者を取り巻く状況は挑戦を諦めるほど悲観的なものではなくなっていた。
2020年の世界的混乱があっても仕事がなくなることはなく(寧ろ増えてる)、養育費は嵩んだものの経済的に困っているわけではない。
数時間置きにミルクが必要な月齢も過ぎて夜間の睡眠時間もある程度確保できるようになった(夜泣きで起こされるが)。
仕事・家庭が依然として忙しいとはいえ、早朝と深夜は時間があるではないか。

妻と話し合った結果、娘も沖縄に連れて行ける事が決まった(家族を置いて沖縄入りするくらいなら辞退するつもりだった)。
普段と異なる環境で娘の面倒を見る事を承諾してくれた妻には感謝しかない。
スタート地点に立てることがこんなにも嬉しいとは。
出場するからには今年は手ぶらで帰るわけにはいかない!
かくして、沖縄へのリベンジが始まったのだ!!

生後8ヶ月の娘、エントリーが完了した頃

2022年9月の記録

その2 〜戦略編〜

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