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noteはじめた‼️

初めて公開用に文章を書くので自分自身が始めた目的を見失わないように書き留めておこうと思う。

私は言葉が好き。
だけれど、気がついたら汚い言葉ばかり作ってて、沢山の人に傷つけられた分、むしろそれ以上に沢山の人を傷つけてきた。

最近は特に「言葉」は刃物と同じだと感じることが多い。
ただ言葉において特に難しいと思うことがある。
刃物はその正しい扱い方を知ってさえいれば人を傷つけることはない(私は包丁でさえも正しく扱えないけれど)
一方で言葉は正しい扱い方が一概に人ないし自分を守るとも言い切れないと感じる。

場合によっては汚い言葉が、人を救うことさえあるのだという事実が救い用もないなと思わせる。

あぁ、書いているうちに論点から逃げてしまいそうになる。観念しなければ。向き合わなければ。

前提として私は出来る限り「正しい」言葉を口にする「善い」子でありたいのだ。
もちろん自分のために。あくまでも、可愛い可愛い自分のために。

だから世間に対してこれといった意見がない。いや、意見がないのではなく世間に対して大して興味がないのだろう。私が、私だけが今この瞬間辛くなければなんだっていいのだから。

ただ近頃はそのエゴが捻じれることが多く、自分でも救い用のない程には捻くれている。

私はよく言えば周りをよく見て人の意見をよく聞き入れる。悪く言えば、私はなんら意志のない、すっからかんなお人形である。

誰かに好かれていないと自分に許されない。
良い子だと言われないと、真面目だと言われないと、完璧でないと自分に嫌われてしまう。
人望も成果も何も望めやしない上に条件付きでないと愛が与えられないのである。

話は戻るがこのように私は言葉を使うのがとてもとても下手くそで、暗い、マイナスなことばかりを吐き出す習慣が自分自身に染み付いている。

SNSで弱音を吐いて共感してもらっていい子いい子してもらって他の人の弱音をまた食べる。どうにもこのままでは根が腐りきってしまうとふと思った。

もちろん人に悩みなどを聞いてもらうのも、時には必要だとは思う。ただ根本的には何も解決しない。心が塞ぎ込んでいる休日に一人ベッドの中でうずくまっていてもただ次の日は憂鬱なだけで何も休まらないのである。

人を傷つける毎日の中で、一度自分自身と話してみようと思った。

私は私を守りたくて守りたくてしょうがないけれど、一方で自分自身のことを何も知らない。

これから、自分に私を許してもらえるように、少しでも考えたこと、感じたことを徒然とただただ羅列していこうと思う。


過去との向き合い方とか、未来への考え方とか、傷つけられたがりなこととか、ね。

P.S.これらは全て「大きな独り言」です。

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