ベーコン イドラ を考察する


ベーコンは「実践派」の哲学者です。机上ではなく実験をしていけば世界を理解できると考えたのです。知の進展に役立つ論理学,学問の方法を構築しようとしました。「知識は力なり」(瞑想録)という明言を残しています。それは知によって人間は自然を征服し、世界の主人になれるという意味を内包しています。人間は空虚な議論によってではなく、科学的な発見や発明を通じて視野を拡大し、また自然を征服する手段を身に着けていくのです。この発見や発明を可能にするのが「帰納的」な知です。またシェイクスピア別人説で名前が挙がる一人でもあります。

イドラ

知の獲得と発展の障害となるとされる有名な四つの「心の幻影(イドラ)」が批判されます

第一は「種族の幻影」で、自己の偏見に合う事例により心が動かされるといった人類に共通の錯覚と言う幻影

第二の「洞窟の幻影」は,個人の体質、性格、教育などに由来するもので,いわば洞窟に閉じ込められ広い世界を見ないために偏りが生じ

第三は「劇場の幻影」で舞台上の手品や作り話に迷わされるように,伝統的な権威や誤った規則,論証,哲学説に依存することに由来するイドラ

最後の第四が「市場の幻影」で,市場で不用意かつ便宜的に作られた言語によって誤るような言語的な錯誤です。

人知の途上に横たわるイドラの障害の排除を説いた上で、真理に到達する方法を述べます。そこでは、物の性質について形相(≒法則)を求めることを知識の目的としています。

彼の手続きは「帰納法」です。何らかの突飛な前提から始めるのではなく、実験や観察で個々の事実を丁寧に取り出すと言う地道なやり方です。個別事実を集めて、そこに共通する法則を見つけ出すというものです。それは限られた事例からの飛躍を抑えることができるのです。ベーコン以前の帰納法の議論にあっては、「単純枚挙による」帰納法というもののみが知られていました。しかしこれでは、確実な法則はもたらしえないとベーコンは考えたのです。単に事実を枚挙するだけでは、そこに漏れが生じることを排除できず、したがって法則の普遍性も担保できないからです。


ベーコンはもろもろの事象からまず一次的な法則を立て、それらを相互に結びつけることで高次の法則へと進み、さらにその法則を事実に適用することによって、その確実性を実証する手続きを考え出しました。「学問の進歩」の中で、ベーコンは学問についての批判的な研究を行なったのです。その目は、アリストテレス以来支配的であった、目的によって事物を説明することを廃し、あくまでも経験的な智恵を重視しようとする点に向いていたのです。ベーコンは人間の知の中で合理的な知を扱う哲学について、それを神学、自然哲学、人間哲学に分類し、その中で神学と自然哲学との関係についてかなり立ち入って考察しています。彼は神の存在は理性によって証明できるとされていましたが、神学におけるほかのすべての部分は啓示によってのみ説明できるとしたのです。これに対して自然哲学は啓示とは無縁の学問であり、あくまでも理性によってのみ基礎付けられねばならないと結論しています。

 また面白いことに彼は地動説へは賛同しかねています。これはベーコンの学問的未熟と時代の過渡期の人の性格を如実に表しているところです。しかしそれを超えようとする彼の進取の姿勢は近代自然科学とイギリス哲学の発展となるのです。

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