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8年付き合った彼氏に別れを告げられたような終わりを迎えて。

わたしが大学1年生から本気で取り組んできた仕事がある。結婚式だ。
その会社とは運命的な出会いで、本当にたまたま見た動画がきっかけだった。1人の社員の誕生日をサプライズでお祝いする動画をみて、私は結婚式を作る会社とは知らずに既に惹かれていたように思う。結婚式のプロデュース会社と知ってからは、関われるポジションがないかと探し、「これしかない!」と、今思うと本当に勢いで電話をした。

新郎新婦様のお問合せ用の電話だった。

そこから8年半。この大好きな会社で結婚式を作るCAST/マネージャーというシゴトを続けてきた私はついに、その役割から卒業する。
そんな激動で幸せで、苦しくて迷いの先に得た私の今の気持ちを残しておこうと思う。


新郎新婦のお問合せへの電話から始まった8年半

できないことや至らないことはもちろんたくさんありながら、必死に食らいついた日々だったと思う。世間知らずの19歳。行動力と素直さからくる図々しさだけを武器に、ベンチャー企業の壮絶な2年目を共に過ごした。会社という組織に、現場の体制に、何度も中指を立ててたと思う。何も知らないが故の理想を押し付けるような存在だったと今となれば思ったりもする。それが、本質的に会社や事業のためになっていたかと言われれば、もしかしたら組織のガンだったのかもしれないけれど、理想を描く日々の中で現場に挑むには難しいことがたくさんあった。

思ったことを言わずに「自分とは違う」「ついていけない」「思っていたのと違う」と離れることもできただろうに、いつの間にか芽生えてしまった責任と自信と、勝手に得た“必要とされているみたいな感覚”に、ハマったり勘違いしながら長年続けてきた。
会社の体制に文句を言い、現場のアサインに理由を求め、チームに無理難題を言って困らせてきた。だけど、当時から8個も9個も年上の社会人の大人たちがいつも受け止めて、守って、その言葉や生意気な私を許してくれていた、と思う。
そして、何度も何度も結婚式を作りながら、この結婚式の業界にいなかったら知らなかった感情を貰い続けてきた。その得た多くのものさえも自分で作り上げてきたと思うような自負もあった。

大好きなその会社の、私が所属する大好きなチームは、9年間のチーム体制を終えて新しいフェーズへと移行した。それは、会社としては仕方がなくて、何度考えても経営として間違っているとは、チームの1人でしかない私も言うことができない。
ただ、私の青春の8年半は、何度言葉にしようとしても、全部を表現しきれなくて、誰に伝えようとしてもうまく伝わらない、私の本当にそのものだったと思うのだ。何もないあの大学1年生の時に、奇跡のように出会ったこの会社に、ただのインターン生やアルバイトの1人として所属したつもりは毛頭ないし、そこで、何もできないと足掻いた私をやっぱり讃えたいと自分で思うのだ。今の私がいるのは、この考え方や生き方になったのは、良くも悪くもこの会社のせいで。本当に、感謝している。

あの日からもう2年、苦しんだ日々がようやく終わる

CASTの解散を知らされてからもう2年ほど経つ。
宮古島の結婚式、移動の前日に知らされた。あの日私は居酒屋で耳だけ参加中。「報告か〜なんだろうな。」って思ってた。福岡の行ってみたかった居酒屋で日本酒を飲みながらおにぎりとおつまみを食べていたのだ。まさかそんなお知らせとは思っておらず、聞いて驚いた。
そして、私が発言することなんて望まれないその場に(私がそう思うことなんてみんなわかっているし、わざわざそれを口にしたって何も変わらない)、居ても立ってもいられなくて「寂しい」とだけ口から出た。それは、みんなが素直には言葉に出せないことだとも思った。

周りが思っているよりもずっと、自分でもチームの中の立ち位置には自覚がある。私が何かを言うことで影響を受ける人がいる。そして、なんとなくそれは威圧的なものや絶対的なものにも感じられてしまう。
だからこそ、これまでもチームや組織に対して使う言葉には気を使っていたし、後輩(年上でも)にフィードバックの言葉を伝えることも、伝えるなら使う言葉も、タイミングにも、何時間も迷うし悩んだ。良いところを見つけて褒めることだって、感謝することだって怠らない。誰もみてないような小さな心遣いをできるだけ見逃したくなかったし、長年やってるからこその甘えやサボりにはちゃんと厳しくいたかった。誰かと役職が被れば、私がいることによってやりづらいと思われないように、私がいることでクオリティが下がらないように、できることと役割に線引きをした。自分の当日のポジショニングにこだわったりビビったり考えすぎたりしていた。役職も得て、既にチームの中では大御所みたいな感じになってしまってからの後半の4年間は特にそうだったと思う。伝わらない、そんな小さなことに私はずっとこだわっていた。それがよかったのか悪かったのかも、そんなことばかりありすぎて、今になってはもうわからない。だけど、ここに私がいる意義を感じられるように所属していたように思う。
そんなわたしが「寂しい」ということにみんなはどう思ったのだろうか。

同い年で圧倒的な存在のメンバーや、年上だけど歴は浅いメンバーや、社員やアルバイト、インターン生など、多種多様なメンバーの中で、年齢も立場も関係なく、ただ真っ直ぐに「結婚式という奇跡の1日」を新郎新婦様のためにつくるチームでいたかった。どんなに厳しい言動・行動も、誰かに意見するときも、最終的な判断基準は「新郎新婦様のためになるか」。
そんなシンプルで優しい気持ちのつもりだった。
当日に1mmも必要のない負の感情や迷いや惰性に左右されることなくいることに努めた。それを叶えてくれていたのは、前述した一緒に奮闘した皆の寛大な心のおかげだと思うのだ。

実は終わりを聞いてからが一番しんどかった。これまでは<スタッフを育てる><改善する><クオリティを上げる>という視点だったところから、何を目指せばいいかわからなくなった。結婚式前後、特にスタッフへ使う時間がみるみる減った。それが、自分の中で、結婚式自体や今日の新郎新婦様、そして未来の新郎新婦様に対する惰性に感じた。もちろん当日は今まで以上に仕事の幅を広げたり、担う役職が多い形で貢献したつもりで、手を抜いたつもりは全くない。
だけど、これまでの経験にない感情で、本当に苦しかったのも事実だ。そして、その気持ちに共感してくれる人が圧倒的に少なかった。それでも、絶えず作ってきたし、その時のベストを尽くしてきたはずなのに、時折それが何かの言い訳になっているような気がしてやるせなかった。

チームの終わりを実感する時

そんなチームの最後の会は1年前の2022年12月。わたしは誰とも同じ気持ちを共有できなくて、ずっと孤独だった。参加するまではそんな風には思ってなかったから、感情はぐちゃぐちゃだった。
その場にいる人ほぼ全員を知っていて、みんなが今何をしているか知りたいと願いながら70人と喋る時間はない。もちろん私のための会じゃない、当たり前だ。だけど、知りたかった。今どこで何をして、どんな思いで生きてるのか?ここでの経験は今に繋がってる?元気?離れてからどんな日々だった?これからどうしていくの?
そうやって、話して、聞いて、みんなのことを改めて知りたかった。
そして、もうすでに卒業していて現場を離れている人もいれば、まだ現場に立ち続けている人もいる雑多なメンバーの中で、過去も今も知っていながらチームの終わりに直面している人は私だけで、他の誰とも“同じ気持ち”とは思えなかった。立場としては後者の「まだ現場に立ち続けている人」だけど、あの忙しない激動の日々を共に生きてきたのは、既に卒業しているメンバーだったりもした。社員でもただのバイトでもなかったわたしはどんな肩書きでいれたら良かったのだろう。

結婚式の現場に出ることが減ってしまう現実にももちろん寂しさはあって、私が価値発揮出来る場所で、ようやく自信を持てる場所だった。誰かのために心尽くす時間が大好きだった。
でもそれ以上に、もう、こうやってみんなで、「よくやったね!」「素晴らしかったね!」と称え合うことも、反省会しながら泣くことも、恐れながら良くなることを信じてフィードバックすることも、そして、ここで出会ったCASTの誰かの人生に深くタッチすることももうないのかと思うと、そんなことを含めて心から寂しくて泣いた。
みんなで囲む円陣ももうしない。年に一回の感謝祭はもうやらない。そんな集まりを言い訳に会う約束を取り付けることももうない。それが、きっととても寂しくて。
名前を見たら、その人との思い出が蘇ってきて、その人生に少しでも変化をもたらせたかもしれないという勝手ながらの思い込みと、そうして知るたくさんの人生に何度も何度も愛おしさが込み上げてきたこれまでをやっぱりちゃんと思い出す。CAST一人の人生が、その体験の全てが、結婚式の接客1つ1つを担ってる。そう思っていたから。どんなに忙しくても、どんなに人数が多くても、知りたいと願って触れてきた人生たちに、やっぱり愛おしさがあった。そして、この会社もCRAZY WEDDINGのCASTという仕事も、ここで出会ったたくさんの仲間たちも大好きだった。

どんなに幸せな8年半だったのだろう。無事最後の結婚式を結び、1年前の文章を読み返して思うこと。

私はいま、どんなに幸せな8年半だっただろうと思い返す。どんなにたくさんの感情や出会いをもらってきたのだろうか。
「認めてよ!」「褒めてよ!」なんて、言ってられないなと、1年前に書いていたこの文章たちを読んで涙しながら思っている。
みんなと会えたこと、ここで一緒に奮闘できたこと、短くても長くてもCASTという共通言語の中で結婚式を作ってこれたこと、私は幸せだった。この場所で、この立場で、ここに関わっていることがとっても幸せだった。

何度もいただいた、感謝の言葉やお褒めの言葉をちゃんと私自身にギフトできていなかったのは、私だけだったのかもしれないと思い改める。この経験や学びをどう活かしていくのか、どう受け止めていくのかは、わたし次第。

悲しいけれど、これまでの人生の支えだったけれど、よく思い返してみたら、綺麗事じゃなく、本当に、幸せな日々で、感謝しかないのだ。
19歳から28歳まで、200組400人の新郎新婦様と、約3000人ほどの参加ゲストの方、幾つもの会場さん、クリエイターの皆さん、そしてCRAZYというコミュニティの中で出会った人たち。奇跡のような出会いがたくさんあった。
今でも、繋がっていられる人の多くはCRAZYを通して出会った人たちで、それはやはりかけがえのないものだと思う。

たくさんの経験をした。多分、あの時から関わっていなかったら得られなかった立場や感情や組織の体制や人との接し方、チームの作り方、改善の仕方、考え方。本当にありがたいほどいろんな役割を、いろんな場を経験させてもらった。

そして、自分との葛藤が多い時間だった。自分はどんな人で、何がやりたくて、何を目指していて、どんなスキルを磨いていて、どんなことが好きなのか。問われることが当たり前で、自問自答し、わからなくてまた探す日々。
信念を持っている人がカッコよく見えて、でも「何もしていなくてもあなたの人生は素晴らしい」と教えてもらった。
負けたくなくて1番でいたかった、でも1番みたいなものには選ばれない日々で。だけど、だからこそ悔しくて、悔しいから頑張って得たものがあった。
必要とされていたくて、みんなと仲良くしたくて、でも馴れ合いはできなくて、忖度もお世辞も言えなくて、優先していたのはずっと現場のクオリティだった。譲れない信念は「2人のために」だった。
私のそのエゴで何人の人を悩ませたのだろうか。私のその厳しさで何人結婚式から離れただろうか。私のその発言で何人の心を苦しめただろうか。
わからないから、でも、生半可な気持ちで挑めないから、スタンスを曲げられなくて、いつでも責任を伴っていつも苦しかった。

こういう時はわたしだろ!みたいなわたしにスポットを当ててほしい願望がいつもあった。ここで喋るなら、ここで乾杯の挨拶をするなら、ここで花束をもらうなら...注目されたいというより、それほどにこのサービスに誇りを持っていたし、私以上に想ってる人がいないと自信があった。使った時間だけじゃなくて、このサービスの一手を担う自分の役割が大好きだった。
だけど、ちゃんと、素直に口に出して言ってなかったかもしれない。
わたしはCRAZY WEDDINGが大好きだ。その1日に思う存分想いや感情を注げる仕事が好きだった。同じ理想に向かって共に創り上げる1日が、その1日を通して知る人生が大好きだった。ここで出会った尊敬できるクリエイターの皆さんや会社が、そんなまっすぐで優しい、カッコよく生きている社員が、CASTが、とってもとっても好きだった。

正解すらわからない、誰かが決めた終わりに、従うしかなかったからいまだにズルズルと感情に振り回されていたように思う。たとえば、8年間付き合った彼に突然一方的に振られたような感じが近い(経験はないけれど)。引きずっても、別の似たような人を探しても、どんなに自分をプレゼンしても、終わりは終わりだから。きっと、その先には何もないのだから。
それがわかったのは本当に最近のことだった。
だから、やっぱり未練たらしくCRAZYを語るのではなく、次に進みたいと思った。

ただ、この2年間、終わりを目指して進む日々の中、「なんでもいいから結婚式を作りたい!」とはどうしても叫べなかった。CRAZYを卒業していく仲間を見るたび心が苦しくて、離れないでと願っては叶わなくて見送るばかりだったけど、私は結婚式を創ることそのものが好きなのではなくてCRAZY WEDDINGが好きだったし、そのいただいていた役割が好きだったのだと思う(もちろんプランナーをしたことはないし、結婚式を軸に仕事を選んだこともなかったから、本当はどうだかわからない)。もしかしたら、8年半抱きしめていたサービスと比べて、自分ごとにできていないのかもしれないなあと思いながらも、結婚式という大切すぎる日に積極的に関わり続けていたいという思いにはならなかった。

だから、2024年からは結婚式という仕事からは正式に離れようと思う。今までは、卒業しますと大口叩いては、必要とされているなら力になりたいと何度も復活を繰り返して、呼ばれたら時間を作ってでも行っていた。だけど、それはきっと、一緒に作る仲間が大好きで力になりたかったという思いが先行していたように思う。
これからは、結婚式とは違う舞台で、でも、同じように、いや、それ以上に、想いを注げる場所で頑張りたい。大好きな友達であり戦友に言われたように、CRAZYという舞台・後ろ盾がなくても大橋優奈として生きてゆく決心をしたいと思う。
ここで得てきた、もらってきた学びも苦しみも喜びも愛おしさも価値観も、大事に大事に自分のものにして進んでいく。

ずっとモヤモヤだけが残っていて、誰に話しても納得がいかなくて、どんなに思い出を振り返っても満足いかなかったけれど、ここに書き記したことが今の全てだと思う。ようやく言葉にすることができた。

19歳のわたし

こんなにも大きくなりました。
これまでたくさんたくさんありがとうございます。本当に青春の日々でした。
願いにまっすぐに、理想に正直に。さあ、次の舞台へ。

28歳のわたし

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