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いつの日か、私が綴った言葉を。

決まってる時間の中での瞬発性というか、試行錯誤する力は相当あると思うのだが、長い目で考えたり、大きなビジョンを見たり、描いたりするのは昔からとても苦手。目の前のわかりやすいゴールに向かって正解を探って、より良いものを選んで、誰かが描いた理想に沿うであろうものを提案して。そんな癖が自然とついていた日々だったと思う。

一般的には、マメだと思うけど、それはわたしと相手との関係性の中で、「返信が早いほうが良いだろうな」とか、「早く結論出したいな」とか、たまに「連絡したいな」って欲求があるからするだけで。どこまでいっても私は自分本位なのかもしれない。

成長意欲もあるけれど、それは何か目指してる人のビジョンや人柄にとにかく共感する共感力がゆえに、この人(モノや場でも)の役に立ちたいと思うからであって。どこまでいっても私は他者の軸で生きているのかもしれない。

せっかくやるならいいものを。

せっかく来てもらうなら実のある時間を。

ゴールは何か、何を望んでるのか、
考えて、そうやって、ただそれを考えてただけの私だったのだ。

だから、今更ながらに、私は、自分が何をしたいか分からない。というか、ない。この世界をどうしたいとか、この世界に何を残したいとか、そういう大きいものを描けない。それが劣ってるわけじゃないというのももう十分にわかっているはずだけれど、それでもやっぱり人生の軸を持っている人ほど強くないと気づいてしまう。

さあ、今日はどんな自分で生きようか。

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