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帝国劇場「モーツァルト!」考

 帝国劇場ミュージカル「モーツァルト!」を観てきました。
 せっかくnoteで長文を書ける場ができたので、これから、好きなミュージカルを好きなように語り散らかしていこうと思います。

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 「モーツァルト!」はミヒャエル・クンツェ脚本、シルヴェスター・リーヴァイ作曲、小池修一郎演出・訳詞のミュージカルだ。2018年6月現在、山崎育三郎さんと古川雄大さんのWキャストで上演されている。
 脚本・作曲・演出は、ミュージカル界隈だと有名も有名、いつもの安心・安全コンビだ。ファンにとって、この人たちの作品なら安心して鑑賞できる、というほど有難いものはない。
 この方たち、他には「エリザベート」や「レディ・ベス」で手を組んでいる。この2作品も好きなので、そのうち時間を見つけて語りたい。

 モーツァルト!は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトという、誰もが知っている音楽の天才の一生を描いたミュージカルだ。
 演出の特色としては、モーツァルト自身にしか見えない子供時代のモーツァルト(=「アマデ」)が、モーツァルトが笑い享楽に踊り苦しみ嘆く横にずっと佇んでいて、ひたすらに作曲をしていること。
 この作品、私が観測している限りだと、ミュージカルファンもどう捉えていいのかわりと戸惑っている感じだ。
 同じコンビの作品であるエリザベートやレディ・ベスと比べて、自分なりに咀嚼するまでに時間がかかるというか、どう捉えていいのか戸惑うというか、噛めば絶対美味しいんだけど噛むのに時を必要とするスルメみたいな作品というイメージ。

 6月16日、帝国劇場で古川雄大さん、木下晴香さん、涼風真世さん、小河原美空さんのキャストで観劇してきた。
 どうにか自分なりに咀嚼できたので、好きなように語りたい。
 ミュージカルは好きだけど、全国を飛び回ったりするレベルにはまだ至ってないひよっこのミュージカルファンなので、歴戦のミュージカルファンには生暖かく見守ってほしい。正直ミュージカルファンって歴戦の猛者が多いから、自分の感想長文で書くなんて超怖い。

 モーツァルト!は、全ての登場人物が人間として不完全で弱い作品だ。
 主人公のモーツァルトは、才能はあるけれど借金もする、浪費グセのある(愛すべき)ろくでなしだし、
 父親はモーツァルトに「自分の誇りとなる息子たれ」と強要し、自分のために子どもを育て上げてきた、愛情の与え方がゆがんでいる系の親だ(観劇後、「あれ毒親だよね?」と友だちと話した)。家族の絆に固執した結果家族を不幸にしてしまうえげつなさ。
 姉のナンネルも、枠のなかで生きてしまう倦んだ弱さを持ち合わせているし、妻のコンスタンツェは怠惰で享楽に弱い。
 モーツァルト一家の雇い主である大司教は部下を自分の所有物だとしか思っていなくて人間だとみなしていないし、コンスタンツェの家族やモーツァルトの友人に至っては、特筆することもなく、本当にわかりやすいろくでなしだ。
 ミュージカル「モーツァルト!」は、弱くて不完全な人間としてのモーツァルトが自由を求め続けた物語だと思う。自由への模索は決して成功したとはいえないけれど、それでも苦しいくらいに求め続けた物語だ。
 強い人間だけではなく、弱くて怠惰な人間でも自由を求めること、求めていいこと、人生の辛い時期にひとりで観て「ああ、私だけじゃなくてみんな不完全だなぁ。でも生きてていいし、自由を欲してもいいんだなぁ」って涙を流したいミュージカルだった。
 ちなみに私はサリエリ推しなんだけど、残念ながらサリエリはほとんど出てこない。

 モーツァルトが生きた時代はちょうどフランス革命の頃だ。この前帝国劇場で千秋楽を迎えて、2018年6月現在大阪公演を行っている、「1789」と同じ時代。
 1789が自由を渇望する光の物語だとしたら、モーツァルト!は自由を渇望する陰の物語だと思う。
 モーツァルト!の根底のテーマは、同じコンビの作品であるエリザベートやレディ・ベス、そして同じ時代が舞台である1789と同じだと思った。
 即ち、人間は自由であり、そのために生き、戦い、時に敗れ、時に成功すること。
 私はひかりふる路の「自由のために人は生まれ自由であることをやめることはできない」という歌詞が大好きなんだけど、本当にこれに集約されると思う。
 自由は人生の手段ではなく、自由を目指すことが人生の目的そのものであるという思想。それを訴えてくるから、私はミュージカルが大好きだ。(ミュージカルも万能ではないので、たまに真逆の方向に爆走するミュージカルもあるけど、舞台というものの特色なのか、それでもテレビなどのほかの表現媒体と比べて、人間賛歌の色はとても強いと思う)
 1789は、ロナンというヒーローが、フランス革命という大きな歴史の舞台で自由を求めて生きていく物語だ。モーツァルト!は、アマデウス・ヴォルフガング・モーツァルトという、決してヒーローではない人間が、個人の人生という小さな舞台で自由を求めて生きていく物語だ。
 舞台が大きな歴史の流れでも、個人の人生という小さな舞台でも、そのテーマは変わらないし、どちらも等しく尊い。戦場は歴史が変わるその瞬間だけではなくて、ひとりひとりの日常に埋没した人生でもあるのだと思う。

 さて、ここまで「自由」「自由」と書いてきたけれど、自由とは何からの自由だろうか。
 モーツァルト!では、3つのものからの自由が描かれていると思う。
 わかりやすいし、よく描かれるテーマでもあるのは、父親からの自由と、大司教(=人権が自明ではないフランス革命前の社会秩序の象徴)からの自由。
 きっとモーツァルトは、この2つの自由は辛くも手に入れたと思う。
 ちなみに、レディ・ベスもエリザベートも、父親と子どもの関係に焦点が当てられている。母親との関係ではないのだ。クンツェさんのライフワークなのかな。
 話がそれたけど、3つめの自由。すごいな、ここまで描くのか、と私が恐怖すら感じたのは、自分からの自由だ。
 私なぞに心配される謂れもないだろうが、クンツェさんの精神状態が心配になるレベルだ。自分からの自由。自分の過去からの自由。
 自分の意思とは無関係に与えられた、才能や環境や運命や性格。即ち自分の影、殻、定めからすらも逃れようとする、恐ろしいまでの自由への渇望。
 「影から逃れて」というナンバーで、「どうすれば自分の影から逃れられるのか」「自分の定めから逃れられるのか」とフルキャストが歌いながら迫り来るフィナーレには恐怖すら感じて圧倒されてしまう。えげつないまでの自分からの自由の渇望だ。

 ちなみに、子ども時代のモーツァルト、人生を通してずっと彼の傍に有り続けるアマデは、モーツァルトの才能を表しているんじゃないかな、と私は解釈した。
 趣味でも仕事でもなんでもいいけれど、自分で表現活動をする人には覚えがあるかもしれない。表現をしている時、自分が自分でなくなる感覚がある。日常を送っている自分とは一線を画した、カオス極まる自我。風立ちぬで描かれようとしていたものと似ているかもしれない。それなのかな、と思った。
 創作をしている時の自分は、確かに自分なんだけれど、日常を送っている自分、俗世にいる自分(モーツァルト)ではない。俗世にいる普段の自分と、創作をしている時の自分は、共存するためにはそれなりに工夫が必要だ。その才能が確固としていればしているほど、呑み込まれてしまう恐怖が大きい。天才と呼ばれたモーツァルトはどれだけ恐ろしかっただろう。
 よく「命を削って創作する」という表現を聞く。血で楽譜をひたすら書いているアマデはまさにそれだ。
 そしてミュージカル「モーツァルト!」は、意志と才能の共存と対立、天才モーツァルトが、神から与えられた才能からも逃れて、人間としての自分の意思ままに生きる自由を求めようとする物語だ。
 自分の意思だって音楽を愛していて、だから「僕こそ音楽」なのだし、だからこそ死ぬほどしんどい。
 最後に自分の胸にペンを突き刺して、アマデと動かなくなったモーツァルトは、果たして自分の殻から解放されたのだろうか。

 モーツァルトという誰もが認める天才でさえ、才能がもたらす名声と不幸に翻弄されながら、俗世に疲れ果てて、それでも彼の音楽は美しいということは、私たちにとっての圧倒的な「希望」だ。
 この世界がどんなにくだらなくても、みっともなくても、それを呑み込んで、その苦しみに藻掻いて、そのうえで、なにか美しいもの、それは音楽をはじめとする全ての芸術でもその人自身の生き方でもなんでもいいのだけれど、とにかく美しいものを生み出し続けること。
 世界にあふれたくだらなくてみっともないものを、私という装置を通して「美しいもの」に変換して、この世界に美しさを1つでも増やせたのなら、それは私の勝ちなのではないか。
 それは確かに私たち人間にとっての圧倒的な希望で、生きる意味の1つだと思う。

 こういうことを言語化する暇を与えないまま、すごい圧力で伸し掛ってくる「モーツァルト!」は、観劇している間ひたすら快感だった。
 今回初めて帝劇で主演をつとめる古川さんは、繊細さと奔放さがいっしょに住んでいる稀有なモーツァルトを表現していた。
 今まで繊細な王子様役しか観ていなかったから、古川さんってこんな笑い方もするのかって驚きだった。今回も繊細さが指先まで美しいのだけれど、奔放さが全面に現れているキャラクターだから、繊細さと奔放さが同居している笑顔が最高に素敵だった。
 カーテンコールで疲れ果てた尽き果てた表情をされていたけれど、こんなしんどい分厚いミュージカルで主演をつとめたら当然だと思う。その分、周りのキャストの方の笑顔に救われた。
 今回は古川さんのモーツァルトだったけれど、山崎さんのモーツァルトも観たい。どんどんお財布の紐がゆるくなっていく。

 ミュージカル「モーツァルト!」は、モーツァルトを筆頭に、弱くて不完全な登場人物たち全員が、過去や自分自身の殻や社会や権力や、そういった全てのものから、自由になろうともがいている、例えそれが失敗しても、そう生きること自体を肯定する作品でした。少なくとも私にとっては。
 才能や環境や、親に与えられた思考の枠や、そういった自分の意思とは無関係に与えられた所与のもの(=殻)から逃れて、自分の意思で選び取った生き方をすることは可能なのか、という究極の問い。
 劇中の歌詞(パンフレットに歌詞が載っていなかったのでうろ覚えだけど)にもある、「自分の足で歩いて初めて人間となる」というのも、結局そういうことなのかなと思う。
 さはさりながら、決してハッピーエンドのミュージカルではないので、カーテンコールのアマデとヴォルフの絡みやお父さんの笑顔にすごく癒されたし可愛いの極みだった。
 みんな幸せになるといいね。

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