「政治責任」とは本来どのように果たすべきか

現政権の「政治責任」が問われている今日この頃です。具体的には下記などが問われています。(当記事は責任追及を目的とするものではないですが、責任問題として話題としてあがっていること自体は事実として良いかと思います。)

・森友学園問題
・加計学園問題
・桜を見る会問題
・高検検事長定年延長問題
・公職選挙法違反(河合前法相など)
・コロナ対応、Go Toキャンペーン

これらの個々の詳細については色々な情報が飛び交っていますし、筆者も全てをしっかり把握できているわけではありません。が、表に出てくる情報を元に考察するに、少なくともある程度は事実であるとして良いと思います。

とはいえ、そもそも政治家に完璧を求めるというのは無理な話だと思いますし、一つ一つの問題を無理にあげつらう必要はないと思います。小泉政権の後の第一次安倍政権以降は失言や不祥事で大臣辞任などがよく見られましたが、どれも少々やり過ぎだったのではというのが筆者の見解です。

一方で、最近のやり取りでは「責任を痛感する/責任は私にある」とはよく言うものの、どのように果たすかについてイマイチ見えないというのが多く散見されます。またよく聞く話法としては「担当者によって適切に対処されている」という発言です。このワンパターンの話法が不自然なレベルで頻発しています。

一時期の過剰な「政治責任」の追求の反動で、現在は「政治責任」を本来どのように果たしていくべきかが曖昧になってしまったのではないかと筆者は懸念しています。そこで当記事では「政治責任」の適切な取り扱い方について論じたいと思います。
以下目次になります。(最終章だけ有料とします)
1. 現政権では「責任」という概念が崩壊している
2. 失言や不祥事で大臣辞任を繰り返していた2000年代後半
3. メディアのパワーバランスの変遷
4. 責任の放棄にあたって利用されている詭弁
5. 「政治責任」は本来どのように果たすべきか

1. 現政権では「責任」という概念が崩壊している
1節では現政権の「責任」についての指摘から入ろうと思います。国会中継や会見などを見るに、下記の二つの話法が多いと思います。

① 責任を痛感する/責任は私にある
② 担当者によって適切に対処されている

これらは特に意識しないで聞いていればそれほど問題にも聞こえないので聞き流してしまう内容です。①を文字通り受け取るなら頼れるリーダーに見えます。ですが、実際はこの際に「責任をどう果たすか」という視点がなければ、「責任の所在」を明らかにしたところで全く意味がありません。日本に多い小役人タイプの上司であれば「責任をどう果たすか」について考えたくないので「いかに責任が及ばないようにするか」を考えて行動しますが、現政権は確信犯的にこの逆を行っているような印象を受けます。「いかに責任が及ばないようにするか」ではなくて、「責任の所在を明言することでいかに責任の実体から目を逸らさせるか」を念頭に発言が行われているのではと筆者は推測しています。
②についても「部下を信頼する良い上司」と一見見えます。が、最高責任者に自身が入っていれば単なる責任放棄であり、組織論における原則である「権限と責任の一致」と齟齬が生じます。最高責任者が「担当者が適切に対処している」は本来逃げであり、把握している事柄について自身の言葉で説明する責任が最高責任者にはあります。担当者には全体の結果責任を取るだけの権限は少なくとも与えられていないはずです。また、この際に出てくる論法が「担当者は頑張っているのだから批判するな」です。これはかなり悪質な論法で、全体の結果責任について最高責任者に聞いているのに、現場単位の担当者の感情論にすり替えを行っています。この論理のすり替えは詭弁の代表例ではありますが、詭弁について詳しくは4節で触れます。
現政権における「責任」という言葉の崩壊について概ね共有できたと思いますので1節はここまでとします。


2. 失言や不祥事で大臣辞任を繰り返していた2000年代後半
2節では失言や不祥事での大臣辞任について取り扱います。この当時は大臣の辞任や内閣の総辞職が非常に頻繁に生じていたと思います。当時は民主党が勢いをつけてきている段階で、マスコミの内閣に対する批判の風当たりも強かった印象です。

筆者は政権交代の時にマニフェストを出したのを見てこれは失敗するなと思っていたのですが、この時期は批判・追求が一種のパフォーマンスと化しており、「正しい批判と実務の遂行は本来表裏一体であるべき」というのが意識されていませんでした。この際の民主党がもう少し逆の立場から発言できていたのなら政権交代が起こっても起こらなくてもより良いバランスで政治が行われていたと思います。現在「批判は悪」という誤謬が生じがちなのもこの頃に原因があると思われます。

こうなった背景としては、1955年〜1993年までの55年体制では自民党がずっと与党を担い続け、社会党が野党であり続けたというのが背景にあると思います。派閥政治の勢力均衡によって自民党自体現在の自民党とは比較にならないほど懐の深い政権運営ができており、大きなミスをしないので野党議員は批判が段々とパフォーマンス化してしまう傾向にあったのではないかと思います。この流れをある程度汲んで民主党政権ができてしまったことで、「掲げた内容と実務の遂行」がなかなか擦り合わなかったのだと思います。

この頃の反動によって生じた「批判へのネガティブイメージ」と「小選挙区制の選挙を重ねるにつれての政治の劇場化」、そして3節でまとめる「メディアのパワーバランスの変遷」の3つが現政権における責任の追求についてなかなか共通認識が持ちづらくなってしまっているのではないかと筆者は考えています。


3. メディアのパワーバランスの変遷
2000年代後半と現政権が長期化した今日この頃を比較すると、メディアのパワーバランスの変化があると筆者は考えています。2000年代後半にはすでにSNSは存在しましたが、マスメディアに比べてまだまだ無視できる存在だったと思います。というのもどちらかというとツールありきで使われ方が色々と模索されている段階で、政治について考える際は依然としてマスメディアを見るのが中心という状況だったと思います。

最近ではTwitterのハッシュタグのデモが国会でも言及されるなど、SNSなどのソーシャルメディアやYouTubeなどの映像コンテンツなども伸び、様々な言説に触れる機会が多くなったかと思います。

さて、この状況をどのように考えるべきでしょうか。「マスメディアはオワコン」的な論調も近年強まっていますし、SNSなどのコメントでもよく見ます。が、筆者はこれについては違うと思います。ソーシャルメディアなどに代表されるインターネット上の言説はあくまで特定の人しか見ないコンテンツであり、マスメディアとは役割が違います。マスメディア批判をすることで注目を集めようとする方が多い印象ですが、一次情報を主に取り扱う「報道」という観点から見るならマスメディアの情報を元にソーシャルメディアで議論がされるという流れだと思います。

もちろんマスメディアの悪い点もあるので一概にも言えないですが、「マスメディアはオワコン」的な言い方は少なくとも現状を言い当てていません。また、インターネットメディアの特徴として意見の偏りが大きな集団ができてしまうというのが課題で、日本国全体を考えた際の共通認識をどのように作っていくかという視点が今後のメディアを考える上では必要不可欠です。

また、注意が必要なのは、マスメディアは「政権の批判」が本来的な役割としてあるということです。インターネットメディアの出現によりマスメディア側も攻撃を受けるようになりましたが、少なくとも権力批判については基本的に恐れずに行うべきです。筆者としては政権とマスメディアの発信に齟齬がある際は、6:4〜7:3くらいでマスメディア側に寄って情報を見ます。理由としては、「政治権力」という概念を考える際に、より力のない方の意見を優先して参考にすべきだと考えるからです。

3節をまとめるなら、メディアのパワーバランスはかつてのマスメディア一強は揺らいでいるが、ソーシャルメディアなどにも課題はあり「マスメディアはオワコンである」を意味しているわけではないということです。なので少なくともマスメディアは政権批判については恐るべきではありません。また、メディアのパワーバランスはどのようになり、個性を尊重しつついかに国家全体の共通認識を作って行くかが今後の課題であると筆者は考えています。


4. 責任の放棄にあたって利用されている詭弁
1節〜3節までで、現政権における「責任」の概念の崩壊について背景も踏まえながら論じてきましたが、4節では1節で触れた現政権が「責任の放棄」にあたって用いている「論理のすり替え」の詭弁について整理しておこうと思います。下記に簡単にまとめます。

・論理のすり替えの詭弁と責任回避
① 「責任を痛感する/責任は私にある」ではなく、「私は責任をこのように果たす」とするべきだと思います。
② 全体像について質問された際に「担当者によって適切に対処されている」と回答するのは「論理のすり替え」です。全体の結果について論じる際には一つ一つの実務の担当者以上に全体としての目的や方針について議論をすることが求められます。

詭弁については他にも色々とありますが、1節については論理のすり替えになっているのではと思います。その他の詭弁については下記にまとまっているのでこちらを参考にしていただけたらと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/詭弁

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