幸福の正体見たり枯れ尾花 ~幸せは考えれば考えるほど遠ざかってゆく~

 「経験機械」これは哲学者ロバート・ノージックが考案した思考実験です。
 バーチャル世界にて自身が望む人生を送ることのできる機械があるとする。その機械に入っている間はバーチャル世界であるとは気付かないし、副作用もなく、健康状態も維持される。希望すれば数年に一度現実世界に戻ってくることもできる。そんな機械があるとするならばあなたは入りたいですか?
 これが思考実験の内容です。つまり、幸せが確約されている機械に入りたいか?果たしてそれは真の幸せと言えるのか?という問いです。多くの人は入りたくないと思うかもしれません。ではそれはなぜでしょう。少し考察してみましょう。
 ひとつは、過程をすっ飛ばしているため感覚的に自分事として捉えにくいからでしょう。努力せずして能力や立場を得たとしても、それが幸せであるとは言いきれない。なぜなら辛いことや苦しいことなど、酸いも甘いも全てひっくるめて努力した先に得た実力にこそ真の価値があり、それこそが幸せに繋がる手掛かりとなると私は考えるからです。
 あるいは、幸せはどこかに宝物のように転がっているものではなく、その人の状態であるからだとも言えるでしょう。状態とは比較のことであり、それゆえ際限がない。したがって機械に入って、例えばサッカーの大会で念願の優勝を果たしたとしても、その瞬間は幸せかもしれませんが、その幸せは永続的なものだとは考えられません。なので、日常における小さな幸せをしっかりと感じ取ることが真の幸せだと考えられるのではないでしょうか。ひとつの物事でも見方を変えると良くも悪くもなる。同様に幸せも見方の問題とも捉えられるでしょう。要するに、足るを知り、自分が幸せだと思い込めばそれを周りがどう思おうと正真正銘幸せだというわけです。幸せとは主観的状態なのです。
 それに関連して、幸せとは唯一絶対ただひとつのものではないからだとも言えるでしょう。プラトンのイデア論のような理想の幸せがあると考えてしまうと、結果主義に陥り過程に幸せを感じにくくなってしまう。そうすると人生の大半は満ち足りなく過ごすこととなってしまわないでしょうか。
 また、自分が憧れる仕事に就いたとしてそれが本当に自分を満足させることなのかは難しいところです。やってみないとそれが自分に合っているのかは分からない、やっている中での気づきを通して自身の新たなやりたいことが分かってくることもあるでしょう。やはり、結果ではなく過程の中にこそ幸せのヒントは隠されていると言えそうです。
 以上のような理由から、経験機械に入ることを躊躇してしまうのではないでしょうか。この思考実験は、幸福の正体について考えさせてくれました。上の考察から、幸福の正体はどうやら結果よりも過程を考えることで見えてくるものだと言えそうです。その上で私なりの帰結は、「主観的価値認識状態」です。自分にとってその時に手にしているもの、見ているもの、考えていることなどに価値があると思い込んでいるその状態こそが、幸福というものの正体ではないでしょうか。そう考えると、幸せについて考えることは幸せになることから遠ざかる行為であると言えるかもしれませんね。幸せになろうとするのではなく、すでにもう幸せなのだと思えること、これが大事なのです。
 そして幸福になるための方法としては、「些細な日常に価値を見出す感性を磨く」こと。小さい幸せを幸せだと思うことができる、何事にも意味付けし肯定する習慣こそが幸せへの第一歩だと考えます。

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